
マニエリスム 7
16世紀の芸術は、すでに完成していたルネサンス美術を前提に創作されることになった。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロは造形上の完成者とみなされていた。次の世代の芸術家は、それを乗り越えて先に進む方向と、それを学習、模倣して洗練に向かう方向をとることになる。
16世紀前半、イタリアでは古典期以後に芸術がたどるべき実験がおこなわれ、マニエラの形成期だったとされる。16世紀前半に活動した画家たちは、少年時代か青年時代、1510年代にルネサンスの巨匠たちの作品を見、それを学んだ。多く模写されたのはミケランジェロの「カッシナの戦い」の下図、「ドーニ家の聖家族」、システィーナ礼拝堂の天井画、レオナルドの「聖アンナと聖母子、幼児聖ヨハネ」の下図、「アンギアーリの戦い」の下図、ラファエロの教皇諸室とロッジャ。そこから、人体の複雑な姿態や明暗と陰影法、画面の構成などを学び、自らの作品に取り込んだ。またコレッジョの色彩、ボッティチェリの引き伸ばされた人体、デューラーのゴシック的形態、ヘレニズム彫刻の筋肉表現などが研究され、作品に取り入れるマニエラとなった。
1520年代にローマに来たフランドルの画家たちも同様で、実際に見ることができない画家たちにも、版画によって広くマニエラが伝えられた。
レオナルドの固有色を否定した明暗法とミケランジェロの鮮明な色彩法が強い影響を与え、構図ではミケランジェロの人体で画面を満たし、遠近法的な空間を作らない画面がマニエラとなった。
16世紀前半、イタリアでは古典期以後に芸術がたどるべき実験がおこなわれ、マニエラの形成期だったとされる。16世紀前半に活動した画家たちは、少年時代か青年時代、1510年代にルネサンスの巨匠たちの作品を見、それを学んだ。多く模写されたのはミケランジェロの「カッシナの戦い」の下図、「ドーニ家の聖家族」、システィーナ礼拝堂の天井画、レオナルドの「聖アンナと聖母子、幼児聖ヨハネ」の下図、「アンギアーリの戦い」の下図、ラファエロの教皇諸室とロッジャ。そこから、人体の複雑な姿態や明暗と陰影法、画面の構成などを学び、自らの作品に取り込んだ。またコレッジョの色彩、ボッティチェリの引き伸ばされた人体、デューラーのゴシック的形態、ヘレニズム彫刻の筋肉表現などが研究され、作品に取り入れるマニエラとなった。
1520年代にローマに来たフランドルの画家たちも同様で、実際に見ることができない画家たちにも、版画によって広くマニエラが伝えられた。
レオナルドの固有色を否定した明暗法とミケランジェロの鮮明な色彩法が強い影響を与え、構図ではミケランジェロの人体で画面を満たし、遠近法的な空間を作らない画面がマニエラとなった。
第1期の画家たちは、奇想によって、洗練と優美によって、多様な影響を総合することで、巨匠を乗り越えた独自となるものを求めていた。ポントルモ、ロッソ、ベッカフーミ、パルミジャニーノは細長い人体、複雑な姿勢、短縮法や俯瞰法、仰視法などの変則的な視点、強烈な明暗と色彩などの反古典主義的な特徴をもっていた。
彫刻ではミケランジェロの「勝利」を中心にして展開された。人体の単独像は蛇状にねじれ、群像の場合は、葛藤によって蛇状か螺旋状になっている。材質の重さに逆らった飛翔や疾走が奇想として好まれた。
世紀半ばから後半の第2期は、対抗宗教改革を始めた教皇庁や高位聖職者、絶対主義的君主からの安定した芸術の依頼があった。宮殿、庭園、都市の大規模な造営もおこなわれ、活気ある時代になった。ヴァザーリやツッカリにミケランジェロの人体構成がみられるが、ラファエロの古典主義的大構図様式が復活した。人体は優美に定型化された気取りとエロティシズムを帯び、画面は様式と技巧、奇想を豊富に展開した。フランスやフランドルでも宮廷的マニエリスムがみられた。
16世紀には、自然現象や微細な事物を緻密に、博物学的に描く絵画も現れた。人間中心から、世界観の変化に伴い、自然界へ視点を移動している。人間を広大な宇宙の中の微少な存在ととらえる、ルネサンス人文主義の終わりを告げるものだった。
世界美術大全集15 マニエリスム ルネサンス 用語集
マニエリスム 8 1 2 3 4 5 6
彫刻ではミケランジェロの「勝利」を中心にして展開された。人体の単独像は蛇状にねじれ、群像の場合は、葛藤によって蛇状か螺旋状になっている。材質の重さに逆らった飛翔や疾走が奇想として好まれた。
世紀半ばから後半の第2期は、対抗宗教改革を始めた教皇庁や高位聖職者、絶対主義的君主からの安定した芸術の依頼があった。宮殿、庭園、都市の大規模な造営もおこなわれ、活気ある時代になった。ヴァザーリやツッカリにミケランジェロの人体構成がみられるが、ラファエロの古典主義的大構図様式が復活した。人体は優美に定型化された気取りとエロティシズムを帯び、画面は様式と技巧、奇想を豊富に展開した。フランスやフランドルでも宮廷的マニエリスムがみられた。
16世紀には、自然現象や微細な事物を緻密に、博物学的に描く絵画も現れた。人間中心から、世界観の変化に伴い、自然界へ視点を移動している。人間を広大な宇宙の中の微少な存在ととらえる、ルネサンス人文主義の終わりを告げるものだった。
世界美術大全集15 マニエリスム ルネサンス 用語集
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