
マニエリスム 1
ルネサンスとバロックの間にマニエリスムという様式概念を加えたのは、20世紀半ばになったからだった。
中世のイタリアでマニエラ(手法)という言葉は、騎士道文化の中で、適切で洗練された宮廷的儀礼態度を心得ている人物を評するときに、マニエラを知っているというように使われていたらしい。15世紀前半に芸術や芸術家の固有の「様式」を示すようになり、16世紀、ヴァザーリが「芸術家列伝(初版1550年)」第3部序論で、盛期ルネサンスの芸術家の優れた美点の一つとしたことで、固有の美的価値を表す用語になった。
ヴァザーリは盛期ルネサンスより前の画家が、自然を描くのに愚直だったのに対し、現代(ヴァザーリの時代)の画家は自然を「いかに描くか」を知っている、それが先人に勝る美点だとした。イタリア美術は自然を無視したゴシック芸術から別れ、自然の再現に向かって発展してきた。その頂点で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは「自然を凌駕し」「自然以上の優美」に到達した。盛期ルネサンス以降の画家の目的は、自然を超えた優美を創造することになった。
ルネサンス人文主義の影響による、人間観の変化があった。フィレンツェのフィチーノたち新プラトン主義者は、人間を神によって作られ、その恩恵を受けるだけの受動的な存在から、少なくとも芸術や技術の領域では人間も神のように創造に参加できる存在だと考えた。さらに彼らは、現象や事物の背後にある不可視の「イデア」こそ真実の存在だとし、それは1500年前後にはヨーロッパの知識人たちに広まった。
中世のイタリアでマニエラ(手法)という言葉は、騎士道文化の中で、適切で洗練された宮廷的儀礼態度を心得ている人物を評するときに、マニエラを知っているというように使われていたらしい。15世紀前半に芸術や芸術家の固有の「様式」を示すようになり、16世紀、ヴァザーリが「芸術家列伝(初版1550年)」第3部序論で、盛期ルネサンスの芸術家の優れた美点の一つとしたことで、固有の美的価値を表す用語になった。
ヴァザーリは盛期ルネサンスより前の画家が、自然を描くのに愚直だったのに対し、現代(ヴァザーリの時代)の画家は自然を「いかに描くか」を知っている、それが先人に勝る美点だとした。イタリア美術は自然を無視したゴシック芸術から別れ、自然の再現に向かって発展してきた。その頂点で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは「自然を凌駕し」「自然以上の優美」に到達した。盛期ルネサンス以降の画家の目的は、自然を超えた優美を創造することになった。
ルネサンス人文主義の影響による、人間観の変化があった。フィレンツェのフィチーノたち新プラトン主義者は、人間を神によって作られ、その恩恵を受けるだけの受動的な存在から、少なくとも芸術や技術の領域では人間も神のように創造に参加できる存在だと考えた。さらに彼らは、現象や事物の背後にある不可視の「イデア」こそ真実の存在だとし、それは1500年前後にはヨーロッパの知識人たちに広まった。
この新プラトン主義文化の中で育ったミケランジェロは、芸術は目に見えない思想を表すという芸術理念を持ち、15世紀自然主義芸術を変革していった。レオナルドやラファエロもやり方は異なるが、現象(自然)の奥にある「精神」を表そうとした。
ヴァザーリたちの時代の芸術理論家は、この「優美」を「プラトン的美(精神的美)」と呼び、比例や均衡などを根拠とした15世紀の美を「アリストテレス的美(形式的美)」と呼んで、両者を区別し、プラトン的美の優越性を強調した。
このような思想は16世紀になって広まった。芸術家や理論家は芸術の目的を自然模倣(ミメーシス)ではなく、それを超えたところにある「イデア」を表現することにあるとした。このことはパノフスキーが初期の著作「イデア(1924年)」で論じている。この時代の、自然以上の優美を創造する理念を共有していた、芸術家にとって、レオナルドやミケランジェロは、すでに現実を超えた「美」を創造していた。それでヴァザーリはミケランジェロを「神のごとき」人、と呼んでいる。
理想の美に至るための方法は、自然の模倣から出発するのではなく、先人の優れた作品を学ぶことになった。この時代に巨匠の作品を方法論として教育する美術アカデミーが誕生している。
(レオナルドも学校を作ることを考えていたらしい。おそらく手記の内容をまとめるために何度か書き直しているし、学校(アカデミア・ディ・ヴィンチ)のためのエンブレムも残している。)
世界美術大全集15 マニエリスム ルネサンス 用語集
マニエリスム 2 3 4 5 6 7 8
ヴァザーリたちの時代の芸術理論家は、この「優美」を「プラトン的美(精神的美)」と呼び、比例や均衡などを根拠とした15世紀の美を「アリストテレス的美(形式的美)」と呼んで、両者を区別し、プラトン的美の優越性を強調した。
このような思想は16世紀になって広まった。芸術家や理論家は芸術の目的を自然模倣(ミメーシス)ではなく、それを超えたところにある「イデア」を表現することにあるとした。このことはパノフスキーが初期の著作「イデア(1924年)」で論じている。この時代の、自然以上の優美を創造する理念を共有していた、芸術家にとって、レオナルドやミケランジェロは、すでに現実を超えた「美」を創造していた。それでヴァザーリはミケランジェロを「神のごとき」人、と呼んでいる。
理想の美に至るための方法は、自然の模倣から出発するのではなく、先人の優れた作品を学ぶことになった。この時代に巨匠の作品を方法論として教育する美術アカデミーが誕生している。
(レオナルドも学校を作ることを考えていたらしい。おそらく手記の内容をまとめるために何度か書き直しているし、学校(アカデミア・ディ・ヴィンチ)のためのエンブレムも残している。)
世界美術大全集15 マニエリスム ルネサンス 用語集
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