大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

マニエリスム 6

1563年に終結したトレント宗教会議によって布告され、教区聖堂に通達された命令によると、宗教芸術は教義と伝統に忠実でなければならず、正直で敬虔であり、猥褻さを避けねばならなかった。このような統制は、ルネサンスの芸術家の創意の自由を阻害し、豊かな表現内容を狭く限定することになった。
ジリオ・ダ・ファブリアーノは「画家の誤謬についての対話」で、教義や伝統から逸脱していること(翼のない天使、ヘラクレスのようなキリスト)、裸体が猥褻であることを理由に、ミケランジェロの「最後の審判」を攻撃している。このため「最後の審判」の廃棄、修正の運動が起きた。これは、あらゆる人文主義的自由を取り入れていたルネサンス芸術の否定を意味した。
第二の変革は新しい図像と様式の奨励。ルターたちに否定された、聖母、聖人像、秘跡の再確認と栄光化、そしてルターたちを悪魔とする異端抹殺の図像。様式は神秘的栄光と感覚的陶酔の効果を求めたものになる。新大陸やアジアへの布教という目的もあって、神秘的で感情移入しやすい、わかりやすさが求められた。
教皇庁の方針転換は、16世紀の芸術家たちを混乱させた。ヴァザーリは神学者ボルギーニの助言なしには一枚の絵も描けないと言っている。多くのマニエリスムの芸術家たちは、教皇庁の要請に従って新しい宗教画を制作したが、古いマニエラと新しい宗教性を組み合わせた、マルコ・ピーノの「キリストの復活」など、特異な効果をもたらした。
マニエリスムの画家、バロッチ、エル・グレコ、ティントレットなどは、新しい宗教精神を受け入れ、対抗宗教改革芸術ともいえる作品を制作した。トレント宗教会議終結後に生まれた世代の画家たちアンニーバレ・カッラッチ、カラヴァッジョたちによって、マニエラは廃棄され、新しいリアリズムと復興したルネサンス古典主義が結合したバロック様式が始まった。