
東西交流 3
1271年、大都に建設された回回天文台で天文観測と暦の編纂がおこなわれた。観測機械はイラン製で、図書館にはペルシア語の図書が備えられていた。1281年から「授時暦」が使われ、明代の大統暦に引き継がれた。フレグ・ウルスでもアゼルバイジャンに天文台が建てられ、1271年に「イル・ハーン天文表」が奉呈されている。
イランから上絵付の技法とコバルト顔料がもたらされ、中国の磁器生産技術と結びついて、14世紀前半に景徳鎮で染付(青花)が生産されるようになった。染付は西アジアで好まれ、高価な国際商品として泉州から船積みされた。ポルトガルのアズレージョはそれをさらに発展させたもの?。
野生の齧歯類の動物間流行病だったペストは、齧歯動物が多く棲む中央アジアの草原を通商路として利用したことで、急速に広まったとされる。14世紀半ば、黒死病と呼ばれ、中東・ヨーロッパで猛威を振るい、推定で2500万人の命が失われた。元末に中国で発生した疫病もペストだったらしい。
世界各国史4 中央ユーラシア史
詳説 世界史図録 山川出版社
東西交流1 2 モンゴル国 アジア史年表
イランから上絵付の技法とコバルト顔料がもたらされ、中国の磁器生産技術と結びついて、14世紀前半に景徳鎮で染付(青花)が生産されるようになった。染付は西アジアで好まれ、高価な国際商品として泉州から船積みされた。ポルトガルのアズレージョはそれをさらに発展させたもの?。
野生の齧歯類の動物間流行病だったペストは、齧歯動物が多く棲む中央アジアの草原を通商路として利用したことで、急速に広まったとされる。14世紀半ば、黒死病と呼ばれ、中東・ヨーロッパで猛威を振るい、推定で2500万人の命が失われた。元末に中国で発生した疫病もペストだったらしい。
世界各国史4 中央ユーラシア史
詳説 世界史図録 山川出版社
東西交流1 2 モンゴル国 アジア史年表
