
24 献堂式・ドーム奉献
1436年3月25日、受胎告知記念日に教皇エウゲニウス4世(フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラに滞在していた)によってサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の献堂式が行なわれ、盛大な祝賀行事が催された。交差部と身廊の間の仮設の壁が取り外され、石材を運び上げる牛力巻上げ機も撤去されていた。
しかし、まだドームは完成していなかった。1434年には高さが144ブラッチャ(約85メートル)となり、翌年にはドームの頂を固定する4番目の抗張力環が設置されていた。献堂式から5ヶ月経った8月30日にドームの奉献が行なわれた。フィエーゾレ司教によって最後の石が設置されたが、未完成の部分も残っていた。ドームの外壁にテラコッタのタイルを張るのに2年、色大理石による化粧張りは次の世代に引き継がれた。
ドームの上にのせる頂塔(ランタン)の設計コンクールは1436年夏に行なわれた。頂塔は飾りとしてだけではなく、ドーム内部の採光や通風といった実用的な意味もあった。ブルネレスキはチャッケリ・マネッティという大工を雇って頂塔の模型を制作した。しかしこのチャッケリ・マネッティはブルネレスキの構想を取り入れた別の模型を作って、自らの案として造営局に提出してしまった。ブルネレスキが常に注意を払っていた剽窃が行なわれてしまったが、1436年大晦日に行なわれた審査ではブルネレスキ案が採用された。
フィレンツェ大聖堂建設 25 ランタン用巻上げ機写真ではドームが巨大なためランタンは小さく見える。
見学者と比べるとランタンの大きさがわかる。
写真はみづゑ no.907より
しかし、まだドームは完成していなかった。1434年には高さが144ブラッチャ(約85メートル)となり、翌年にはドームの頂を固定する4番目の抗張力環が設置されていた。献堂式から5ヶ月経った8月30日にドームの奉献が行なわれた。フィエーゾレ司教によって最後の石が設置されたが、未完成の部分も残っていた。ドームの外壁にテラコッタのタイルを張るのに2年、色大理石による化粧張りは次の世代に引き継がれた。
ドームの上にのせる頂塔(ランタン)の設計コンクールは1436年夏に行なわれた。頂塔は飾りとしてだけではなく、ドーム内部の採光や通風といった実用的な意味もあった。ブルネレスキはチャッケリ・マネッティという大工を雇って頂塔の模型を制作した。しかしこのチャッケリ・マネッティはブルネレスキの構想を取り入れた別の模型を作って、自らの案として造営局に提出してしまった。ブルネレスキが常に注意を払っていた剽窃が行なわれてしまったが、1436年大晦日に行なわれた審査ではブルネレスキ案が採用された。
フィレンツェ大聖堂建設 25 ランタン用巻上げ機
見学者と比べるとランタンの大きさがわかる。
写真はみづゑ no.907より
