
19 イル・バダローネ(怪物)
1421年、ブルネレスキは「それを用いればアルノ川であろうと他の川や海であろうと、時を選ばす、いかなる商品や荷物をも通常より安い費用で容易に運搬することができると本人の称する機械ないし船のようなもの」に対する世界初の特許状を与えられていた。
「イル・バダローネ(怪物)」と呼ばれたその船には車輪が付いていて、港までは荷車として石材を運び、そのまま筏にしてこぎ船か船引き道の牛に引かせるものだったらしい。1トン7リラ10ソルドの運賃を4リラ14ソルドまで下げられるはずだった。
1428年5月、ブルネレスキの画期的な船は進水した。しかし100トンの大理石を積んだ船はピサを出たあと、40kmほど先のエンポリ付近で沈没か座礁してしまい積荷はすべて沈んでしまった。造営局は1週間以内に大理石を納入するように通達を出したが実行されなかった。契約から4年半が過ぎても造営局はブルネレスキに大理石をイル・バダローネで運ぶように要求している。
1433年3月、総監督のバッティスタ・ダントーニオは墓石の流用で急場をしのぐことにした。そして夏になって造営局は別の輸送業者と交渉を始めた。
フィレンツェ大聖堂建設 20 1429年
「イル・バダローネ(怪物)」と呼ばれたその船には車輪が付いていて、港までは荷車として石材を運び、そのまま筏にしてこぎ船か船引き道の牛に引かせるものだったらしい。1トン7リラ10ソルドの運賃を4リラ14ソルドまで下げられるはずだった。
1428年5月、ブルネレスキの画期的な船は進水した。しかし100トンの大理石を積んだ船はピサを出たあと、40kmほど先のエンポリ付近で沈没か座礁してしまい積荷はすべて沈んでしまった。造営局は1週間以内に大理石を納入するように通達を出したが実行されなかった。契約から4年半が過ぎても造営局はブルネレスキに大理石をイル・バダローネで運ぶように要求している。
1433年3月、総監督のバッティスタ・ダントーニオは墓石の流用で急場をしのぐことにした。そして夏になって造営局は別の輸送業者と交渉を始めた。
フィレンツェ大聖堂建設 20 1429年
イル・バダローネの建造費と失われた大理石の費用はすべてブルネレスキが支払うことになった。損失は1000フィオリーノ、総監督としての給料10年分、彼の総資産の3分の1にあたった。そして「アルキメデスの再来」といわれた彼の名声に傷がついた。
下はタッコラの「イル・バダローネ」の素描。
下はタッコラの「イル・バダローネ」の素描。
