
15 抗張力環
1421年、最初の「抗張力環」の設計が固まった。それは短い方の石材を放射状に並べ、それらと組み合わされた長い方の石材を45度の角度でつなぐ、というもの。(右図)
石材や鉄のつなぎ金具などは特殊な形で、ブルネレスキは多くの模型などを作って石工たちに指示をしていった。
最初の石の「抗張力環」が完成すると、次に木製の「抗張力環」の模型が作られた。他の応募者からの提案もあったが、1423年8月、委員たちはブルネレスキの模型を採用した。
しかし材料のクルミ材が届いた頃、ブルネレスキは腹痛を訴えて寝込んでしまった。なかなか回復しないため、もう1人の総監督ギベルティの指示で作業が進められることになった。ギベルティはブルネレスキの模型やサン・ジョヴァンニ礼拝堂を参考にしながら作業を進めた。
やがて奇跡的に回復したブルネレスキは、現場に上るとギベルティの指示による作業の不備を指摘し、すべて撤去させて最初からやりなおした。ブルネレスキの腹痛は仮病だったともいわれている。
それまで二人の総監督はそれぞれ月3フィオリーノを給与として受け取っていたが、この件でブルネレスキの報酬は3倍近くに増やされた。建築家としては無能とされてしまった、ギベルティの報酬は据え置かれ、そして1425年夏にうち切られた。
フィレンツェ大聖堂建設 16 壁面の傾き
石材や鉄のつなぎ金具などは特殊な形で、ブルネレスキは多くの模型などを作って石工たちに指示をしていった。
最初の石の「抗張力環」が完成すると、次に木製の「抗張力環」の模型が作られた。他の応募者からの提案もあったが、1423年8月、委員たちはブルネレスキの模型を採用した。
しかし材料のクルミ材が届いた頃、ブルネレスキは腹痛を訴えて寝込んでしまった。なかなか回復しないため、もう1人の総監督ギベルティの指示で作業が進められることになった。ギベルティはブルネレスキの模型やサン・ジョヴァンニ礼拝堂を参考にしながら作業を進めた。
やがて奇跡的に回復したブルネレスキは、現場に上るとギベルティの指示による作業の不備を指摘し、すべて撤去させて最初からやりなおした。ブルネレスキの腹痛は仮病だったともいわれている。
それまで二人の総監督はそれぞれ月3フィオリーノを給与として受け取っていたが、この件でブルネレスキの報酬は3倍近くに増やされた。建築家としては無能とされてしまった、ギベルティの報酬は据え置かれ、そして1425年夏にうち切られた。
フィレンツェ大聖堂建設 16 壁面の傾き
