
13 荷揚げ装置
1418年のコンクールでは荷揚げ装置も公募されていたが、それには誰も応募していなかった。
800kg近くの重さの砂岩の切石を何百個も引き上げるのに、以前からの「大車輪」と呼ばれた踏み車式のクレーンでは効率が悪すぎた。
ブルネレスキは新しい荷揚げ装置の開発にとりかかった。造営局から労働者たちに朝食がふるまわれてから数週間経って、3個の巨大なニレ材が(最大のものは直径1.5m)造営局に送られてきた。そしてその他の材料も次々に運び込まれた。
ブルネレスキが考えたのは牛を動力に使うクレーンだった。1420年から21年にかけての冬の間にその機械は作られた。それは歯車の組み合わせを変えることで上昇と下降が切り替えられ(クラッチ)、歯車の大きさによって3段階のスピードが選べるようになっていた。牛は同じ方向に進むだけでよかった。マネッティは時計の組み立てから、この歯車の組み合わせを考えついた、としている。
この荷揚げ装置が完成して、ブルネレスキは造営局に優勝賞金の引き渡しを求め、100フィオリーノが交付された。この装置は規則的に稼働し、1日平均50回、10分に1回の割合で荷揚げを行なった。
フィレンツェ大聖堂建設 14 カステッロ
800kg近くの重さの砂岩の切石を何百個も引き上げるのに、以前からの「大車輪」と呼ばれた踏み車式のクレーンでは効率が悪すぎた。
ブルネレスキは新しい荷揚げ装置の開発にとりかかった。造営局から労働者たちに朝食がふるまわれてから数週間経って、3個の巨大なニレ材が(最大のものは直径1.5m)造営局に送られてきた。そしてその他の材料も次々に運び込まれた。
ブルネレスキが考えたのは牛を動力に使うクレーンだった。1420年から21年にかけての冬の間にその機械は作られた。それは歯車の組み合わせを変えることで上昇と下降が切り替えられ(クラッチ)、歯車の大きさによって3段階のスピードが選べるようになっていた。牛は同じ方向に進むだけでよかった。マネッティは時計の組み立てから、この歯車の組み合わせを考えついた、としている。
この荷揚げ装置が完成して、ブルネレスキは造営局に優勝賞金の引き渡しを求め、100フィオリーノが交付された。この装置は規則的に稼働し、1日平均50回、10分に1回の割合で荷揚げを行なった。
フィレンツェ大聖堂建設 14 カステッロ

二人の男が車輪を踏んで回し、下の出窓の男は石材の揺れを抑えるためのひもを持っている。 画像をかなり明るくしています。
右 天才建築家 ブルネレスキ より この絵ではなぜか馬が描かれているが、牛を使ったクレーン。歯車を組み合わせている。