大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

6 ドームの設計コンクール

1416~17年頃ブルネレスキはフィレンツェに戻ったらしい。ドームを支えるドラムは1410~13年に完成し、厚さ4mほどの壁が廻らされていた。建材を引き上げるための大型起重機が新造され、8角形の三辺にあるアプシスの二つにヴォールトが架けられていた。新しい聖堂はサンタ・レパラータという以前の聖堂の名前に代わってサンタ・マリア・デル・フィオーレという新しい名前がつけられた。
マネッティによると、大聖堂造営局は10フィオリーノを支払って、ドームの設計図を描くようにブルネレスキに依頼し、他にもしきりに助言を求めていたという。しかし41歳で代表作といえる建築物を建てていないブルネレスキを造営局が頼りにした、というのは考えにくい。
1418年8月、大聖堂ドーム模型の競技設計が布告された。
「目下、大聖堂造営局が建設中の大聖堂に主ドームを架けるための模型ないし設計図ーすなわち上記の円屋根ないし円天井の建造、およびこれを完成するための木組みや足場等、または建材の引き揚げ装置ーを制作しようと思う者は、9月末までにこれをなすべし。採用された者には200金フィオリーノを与える。」
1367年に承認されたフィオラヴァンティの模型は絶対だった。それをどのようにして実現させるかが問題だった。また模型で構想されていた、外からは見えない支柱「抗張力環」を作る方法も難問だった。
正円形のドームなら迫枠を使わなくても建設できる。アルベルティは「建築論」の中で「球形ヴォールトだけは迫枠を必要としない」と述べている。閉じたアーチ(円環)を積み重ねた形となり、要石さえ不要で、パンテオンと同じ工法になる。