大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

3 洗礼堂扉のコンクール 1401年

1397年にはクーポラを支える主柱列上の大アーチの建設が始まり、八角形の三辺に作られる礼拝堂のヴォールト架構も始まった。
1400年夏にはフィレンツェで大規模なペストの流行があって、住民5人に1人が犠牲になった。
翌年毛織物商組合はペスト沈静化に感謝するため、サン・ジョヴァンニ洗礼堂に新しい扉一対を寄進することを決めた。その後、大聖堂の工事が突然中断された。石工たちはシエナ街道にあるキャンティでの城壁補強工事に動員された。ミラノ公ジャンガレアッツォ・ヴィスコンティがイタリア中部への進出を図り、ピサ、シエナ、ペルージャを屈服させ、フィレンツェに迫っていたためだった。
このような状況で洗礼堂扉のコンクールは行なわれた。1398年に金細工師として独立し、ピストイアで大聖堂の祭壇の制作に携わっていたブルネレスキは、コンクールに参加するためにフィレンツェに戻っていた。7人の参加者たちは「イサクの犠牲」の試作品を1年かけて作ることになった。