大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 indwx

ジョチ・ウルス

アルタイ山脈の西にはジョチ家、チャガタイ家、フレグ家の所領が作られた。これら三王家は生活習慣が近い多くのテュルク系諸族と出会うことでしだいにテュルク化し、イスラームを受け入れていった。中央ユーラシアは東側の仏教文化を中心とした世界と、西側のイスラーム世界に分かれることになった。
ジョチ・ウルスはバトゥを総司令官とする遠征の成果を得て、キプチャク草原全域へ拡大した。日本では「キプチャク・ハーン国」とも呼ぶ。後を継いだ弟のベルケはモンケ没(1259年)後の混乱を乗り切り、イスラームに改宗して、フレグ・ウルスと対抗するためにマムルーク朝と結んだ。モンケ・テムルが後を継いで、王統はバトゥ裔へ戻ったが、トクタの没後、甥のウズベクが政変を起こし、権力を握った。ムスリムとなったウズベクは、トクタの息子たちとの政権争いを有利にすすめ、ジョチ・ウルスを統治した。ウズベクをジャーニー・ベク、ベルディ・ベクが継いだが、その後バトゥ家の嫡流が途絶え、20年の間に25人がハーン位に就くという混乱に陥った。ジョチの第13子、トカ・テムル家のトクタミシュがティムールの援助を受けて、首都サライに進出しジョチ・ウルス再統一に成功した。
世界各国史4 中央ユーラシア史