
チンギス・ハン 千人隊
チンギス・ハンは遊牧民集団の再編成をおこなった。支配下の遊牧民をそれぞれ千人ほどの戦士を供出できる95の集団(千人隊)に編成した。千人隊は軍事・政治行政・社会の基礎となる集団で、隊長には功臣たちが任命され、その下に百人隊、十人隊が組織された。
千人隊の一部は一族に分与された。モンゴル高原の西、アルタイ山脈西麓に3人の息子ジョチ、チャガタイ、オゴデイの遊牧地が、東側の興安嶺一帯に3人の弟カサル、カチウン、オッチギンと母ホエルンの遊牧地が定められ、東西それぞれに12の千人隊が分与された。
千人隊の一部は一族に分与された。モンゴル高原の西、アルタイ山脈西麓に3人の息子ジョチ、チャガタイ、オゴデイの遊牧地が、東側の興安嶺一帯に3人の弟カサル、カチウン、オッチギンと母ホエルンの遊牧地が定められ、東西それぞれに12の千人隊が分与された。
残りの千人隊はチンギスと末子トルイの直属となった(モンゴル遊牧民は末子相続)。これらは南を向いて右翼(高原西部)、左翼(高原東部)に配された。右翼万人隊、左翼万人隊と呼ばれ、長には功臣が任じられた。
左右両翼の中央には1万人の近衛軍団(ケシク)が置かれた。ケシクの人員はおもに各隊長の子弟から選ばれたが、有能な者は誰でも採用された。4班に分かれてチンギスを護衛したが、忠誠心を持つ側近を養成し、国家の中枢を担う人材を育成することにもなった。
世界各国史4 中央ユーラシア史
モンゴル国 アジア史年表
左右両翼の中央には1万人の近衛軍団(ケシク)が置かれた。ケシクの人員はおもに各隊長の子弟から選ばれたが、有能な者は誰でも採用された。4班に分かれてチンギスを護衛したが、忠誠心を持つ側近を養成し、国家の中枢を担う人材を育成することにもなった。
世界各国史4 中央ユーラシア史
モンゴル国 アジア史年表
