
チンギス・ハン 大モンゴル国(ウルス)
12世紀後半、モンゴル高原にはテュルク・モンゴル系遊牧諸集団がいた。東部のタタル部は金の攻撃を受けて勢力を弱め、中央部のケレイト部、西部のナイマン部が有力だった。小集団モンゴル部の有力氏族キヤト氏に属するボルジギン氏にテムジンは生まれた。生年には諸説(1155、61、62,67)がある。父イェスゲイ・バアトルはキヤト氏の有力者だったが、タタルによって毒殺され、テムジンは母ホエルンとともに困難な少年・青年時代を過ごしたらしい。
テムジンは、1203年秋、ケレイト部のオン・ハンを奇襲で倒し、1205年春までにナイマン部を中心とした連合軍を破って、モンゴル高原のほぼ全域を統合した。1206年春、モンゴル高原の中央部で即位したテムジンはチンギス・ハンと名乗り(在位1206〜27)、大モンゴル国(ウルス)が誕生した。
世界各国史4 中央ユーラシア史
モンゴル国 アジア史年表
世界各国史4 中央ユーラシア史
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