大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 indwx

チャガタイ・ウルス

1301年、元軍に敗れたカイドゥが死去した。カイドゥを補佐していた、チャガタイ家のドゥア・ハーンはカイドゥの葬儀を取り仕切り、中央アジアの第一人者であることを示した。ドゥアはオゴデイ家の当主に、カイドゥが指名していたオロスではなく、暗愚なチャパルを推挙して同家の分裂を図った。対立するチャパルとオロスを元軍と呼応して個別に破って、オゴデイ・ウルスは消滅し、1306年チャガタイ・ハーン国が成立した。
ドゥアとその子コンチェクが亡くなると、一族の長老タリクが政権を握った。危機感を抱いたドゥア一門は、ケベクをたててクーデタを起こし、タリクを殺害した。カイドゥ・ウルスの再興をめざして進軍してきたチャパルを退けて、1310年ケベクの兄エセン・ブカをハーン位に推戴した。エセン・ブカはケベクに経済的中心地マー・ワラー・アンナフル(アラビア語で「アム川の向こうの土地」)とフェルガナ(カシュカ・ダリヤ川流域)の統治を委ねた。
エセン・ブカの治下、元とフレグ・ウルスとの対立が再燃した。またハーンの権威も絶対的なものではなく、1316年には一族のヤサウルがフレグ・ウルスに亡命している。
1320年頃即位したケベクは、ホラーサーンに軍を送り、フレグ・ウルスの軍と呼応してヤサウルを倒し、21年からは毎年、元に使節団を送り対立解消に努めた。ケベクはムスリムではなかったが、イスラーム社会の貨幣制度を範として、2種の銀貨を鋳造した。高品位で信頼性が高く、中央アジアの基準通貨として長く用いられた。