
彫刻から絵画へ
1260年代のパリ「同職組合の書」によると画家は「パリ彫像家・十字架像制作家組合」か「画家・彫像家組合」のどちらかに加盟していたらしい。
13世紀には彫刻家が優勢で、画家は彫像彩色が主な仕事で、装飾的彩色からイメージの描写まで幅広い彩色に関与する職人ととらえられていたらしい。
1391年パリで改正された「パリ市彫像家・彫刻家・画家・装飾画家組合規約」が30人の画家・彫刻家の署名を得て公布された。この30人のうち25人が画家、5人が彫像家とされている。
最初に署名しているジャン・ドルレアンは王の画家として記録が残り、次のエティエンヌ・ラングリエはベリー公に仕えていたエティエンヌ・ラヌリエと推定されている。
13世紀には彫刻家が優勢で、画家は彫像彩色が主な仕事で、装飾的彩色からイメージの描写まで幅広い彩色に関与する職人ととらえられていたらしい。
1391年パリで改正された「パリ市彫像家・彫刻家・画家・装飾画家組合規約」が30人の画家・彫刻家の署名を得て公布された。この30人のうち25人が画家、5人が彫像家とされている。
最初に署名しているジャン・ドルレアンは王の画家として記録が残り、次のエティエンヌ・ラングリエはベリー公に仕えていたエティエンヌ・ラヌリエと推定されている。
14世紀初めから「王の画家」「部屋付き侍僕」など、王侯の宮廷画家であることを示す称号が会計記録に見られるという。組合の有力画家が宮廷画家の称号を得て、特別な条件で制作することがあったらしい。作品に署名を残した宮廷画家は見られない。
写本制作はレイアウト、書写、装飾挿絵、製本、装幀などの工程を経る一種の総合芸術だった。王侯の財産目録によると、書写の字体、装飾挿絵の有無、装幀の種類(金銀宝石で飾られたものもあった)が独自の価値を持つとして評価されている。写本装飾ではピュッセルとその工房の職人、ボンドルなど数名が署名を残している。
都市での一般的な写本は書籍商組合に属する装飾・挿絵画家によって作られていた。
世界美術大全集10 ゴシック2 ルネサンス 用語集
写本制作はレイアウト、書写、装飾挿絵、製本、装幀などの工程を経る一種の総合芸術だった。王侯の財産目録によると、書写の字体、装飾挿絵の有無、装幀の種類(金銀宝石で飾られたものもあった)が独自の価値を持つとして評価されている。写本装飾ではピュッセルとその工房の職人、ボンドルなど数名が署名を残している。
都市での一般的な写本は書籍商組合に属する装飾・挿絵画家によって作られていた。
世界美術大全集10 ゴシック2 ルネサンス 用語集