
ヒエロニムス
ヒエロニムス 347年か少し前〜419/420
ダルマティアで生まれ、ベツレヘムで死去した。
座右銘が「われには町は牢獄、荒れ野は楽園なり」とされ、厳格な禁欲生活のなかで、405年にラテン語訳聖書「ウルガタ」を完成させた。彼の書簡集は古くから広く読まれ、7世紀から聖人と呼ばれていた。12世紀以前から枢機卿と呼ばれるようになって、赤いマントと赤い帽子を着けている。ベツレヘムの修道院長だったときに、ライオンの足の棘を抜いて癒やすと、ライオンがなついたとされる。
カトリック教会の制度としての「聖人」ではなく、聖職者の「枢機卿」に叙階されてもいない。枢機卿の服制は1252年に教皇インノケンティウス4世によって制定されている。ライオンの話は、半世紀ほど後の聖ゲラシムスの伝説が混入したとされる。
ダルマティアで生まれ、ベツレヘムで死去した。
座右銘が「われには町は牢獄、荒れ野は楽園なり」とされ、厳格な禁欲生活のなかで、405年にラテン語訳聖書「ウルガタ」を完成させた。彼の書簡集は古くから広く読まれ、7世紀から聖人と呼ばれていた。12世紀以前から枢機卿と呼ばれるようになって、赤いマントと赤い帽子を着けている。ベツレヘムの修道院長だったときに、ライオンの足の棘を抜いて癒やすと、ライオンがなついたとされる。
カトリック教会の制度としての「聖人」ではなく、聖職者の「枢機卿」に叙階されてもいない。枢機卿の服制は1252年に教皇インノケンティウス4世によって制定されている。ライオンの話は、半世紀ほど後の聖ゲラシムスの伝説が混入したとされる。