
28 球と十字架
ランタンが完成すると、その上に球と十字架を飾って大聖堂が完成する。その球と十字架はヴェロッキオの工房に発注された。1460年代後半になってヴェロッキオの工房は忙しくなっている。それまで多くの工房の一つに過ぎなかったのが、理由は不明だが、ピエロ・デ・メディチのお気に入りとなり、それはロレンツォにも引き継がれた。
レオナルド・ダ・ヴィンチがヴェロッキオの工房に入門したのは、資料によって違いがあるが、1467年から1439年の間、フィレンツェ政府の公証人となっていたレオナルドの父、セル・ピエロがヴェロッキオ工房の将来性に着目したか、あるいはメディチ家の勧めがあったのかもしれない。 画家を志していたレオナルドにとって、最良とは思えない選択だったが、この工房でレオナルドは大きく成長した。この件に関しては項を改めて触れる。
球と十字架がランタンの上に設置されたのは1471年5月末だった。
フィレンツェ大聖堂建設 29 2018年 今までに思ったこと
レオナルド・ダ・ヴィンチがヴェロッキオの工房に入門したのは、資料によって違いがあるが、1467年から1439年の間、フィレンツェ政府の公証人となっていたレオナルドの父、セル・ピエロがヴェロッキオ工房の将来性に着目したか、あるいはメディチ家の勧めがあったのかもしれない。 画家を志していたレオナルドにとって、最良とは思えない選択だったが、この工房でレオナルドは大きく成長した。この件に関しては項を改めて触れる。
球と十字架がランタンの上に設置されたのは1471年5月末だった。
フィレンツェ大聖堂建設 29 2018年 今までに思ったこと
1475年、トスカネリは造営局の許可を得て、ランタン基部に1枚のブロンズ板を設置した。その板には細い隙間があって、太陽の光が大聖堂の床に置かれた特製の定規に届くようになっていた。大聖堂を巨大な日時計として使うことで、夏至や春分などを正確に予知できるようになったという。また外洋航路で南下していくと、北極星で緯度を測るのが難しくなる。そのため、正午に太陽の高さを測り、赤緯表で補正して緯度を知ろうとした。そのころ有名だったアルフォンシン天文図は1252年に作成されたもので、改訂が必要とされていた。その修正と精密化がトスカネリによって図られたらしい。
1492年4月、ロレンツォの死の数日前、落雷のため数トンの大理石がドーム北側に落下した。その後見つかった地下水脈や増大する交通量(現在は規制されている)などがあってもドームは建っている。
1492年4月、ロレンツォの死の数日前、落雷のため数トンの大理石がドーム北側に落下した。その後見つかった地下水脈や増大する交通量(現在は規制されている)などがあってもドームは建っている。