
アルトドルファー
アルブレヒト・アルトドルファー Albrecht Altdorfer
(1480頃〜1538)
1505年にクラーナハがヴィッテンベルクヘ向かい、フリューアウフがレオポルト祭壇画翼を描きあげると、ドナウ派の中心人物はこの年にレーゲンスブルク市民となったアルトドルファーになった。父ウルリヒの教えを受けていたが修業期のことは解らない。初期の作品から風景と人物の密接な融合が予告されている。1507年の「サテュロスの家族」はドイツで古代神話を取り上げた最も早い油彩画のひとつで、森に漂う怪しげな霊気のようなものを描き出している。
1510年代前半の「竜と闘う聖ゲオルギウス」「エジプトへの逃避途上の休息」「二人の聖ヨハネ」では背景の自然が画面の多くを占め、自然と人物の融合が明らかになっている。このころオーストリア方向へ旅に出ている。「ザルミングシュタインを流れるドナウ川」「柳のあるアルプス風景」のスケッチが残されている。このときミヒャエル・パッハーの作品を知ったらしい。旅の目的はザンクト・フロリアンのセバスティアヌス祭壇画の制作だった。外翼の外面にセバスティアヌス伝4面、内面にキリスト受難伝8面を、色彩画家として、激しい動きと移りいく明暗を描いている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
(1480頃〜1538)
1505年にクラーナハがヴィッテンベルクヘ向かい、フリューアウフがレオポルト祭壇画翼を描きあげると、ドナウ派の中心人物はこの年にレーゲンスブルク市民となったアルトドルファーになった。父ウルリヒの教えを受けていたが修業期のことは解らない。初期の作品から風景と人物の密接な融合が予告されている。1507年の「サテュロスの家族」はドイツで古代神話を取り上げた最も早い油彩画のひとつで、森に漂う怪しげな霊気のようなものを描き出している。
1510年代前半の「竜と闘う聖ゲオルギウス」「エジプトへの逃避途上の休息」「二人の聖ヨハネ」では背景の自然が画面の多くを占め、自然と人物の融合が明らかになっている。このころオーストリア方向へ旅に出ている。「ザルミングシュタインを流れるドナウ川」「柳のあるアルプス風景」のスケッチが残されている。このときミヒャエル・パッハーの作品を知ったらしい。旅の目的はザンクト・フロリアンのセバスティアヌス祭壇画の制作だった。外翼の外面にセバスティアヌス伝4面、内面にキリスト受難伝8面を、色彩画家として、激しい動きと移りいく明暗を描いている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
1520年頃の作とされるフロリアヌス祭壇画では、説話性が強調されている。人物の動きが抑えられ、場所や背景に大きな役割が与えられている。「橋のある風景」「聖フロリアヌスの橋からの投下」は橋の下から遠景が望まれる構図になっている。
「マリアの誕生」「水浴のスザンナ」は建築家としての構築的空間把握を示すものとされているが、眼前の奥行きのある風景を包括的に捉えるという点では橋の下から遠景と共通する。その視点を拡大させたのが1520年代の「城のある風景」と「アレクサンドロスの闘い」。「城のある風景」は自然風景に囲まれて、遠景に小さな城館がたたずんでいる。「アレクサンドロスの闘い」は、1528年にバイエルン公ヴィルヘルム4世が、優れた画家たちに描かせた一連の歴史画のなかの一点。アルトドルファーは推挙されたレーゲンスブルク市長を辞退して制作したとされる。細密描写のアレクサンドロス大王とペルシアのダレイオスとの戦いを、大きな天空が覆っている。
1530年代、晩年にも透明感のある色彩を用いた宗教画「マギの礼拝」や、宗教画をもとにした風俗画、緑や赤の賦彩法や捻れをみせる人物を描いた、マニエリスムを予告するともされる「ロトとその娘たち」がある。
人物略歴
「マリアの誕生」「水浴のスザンナ」は建築家としての構築的空間把握を示すものとされているが、眼前の奥行きのある風景を包括的に捉えるという点では橋の下から遠景と共通する。その視点を拡大させたのが1520年代の「城のある風景」と「アレクサンドロスの闘い」。「城のある風景」は自然風景に囲まれて、遠景に小さな城館がたたずんでいる。「アレクサンドロスの闘い」は、1528年にバイエルン公ヴィルヘルム4世が、優れた画家たちに描かせた一連の歴史画のなかの一点。アルトドルファーは推挙されたレーゲンスブルク市長を辞退して制作したとされる。細密描写のアレクサンドロス大王とペルシアのダレイオスとの戦いを、大きな天空が覆っている。
1530年代、晩年にも透明感のある色彩を用いた宗教画「マギの礼拝」や、宗教画をもとにした風俗画、緑や赤の賦彩法や捻れをみせる人物を描いた、マニエリスムを予告するともされる「ロトとその娘たち」がある。
人物略歴