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枢機卿バルダッサーレ・コッシャ(対立教皇ヨハネス23世)墓碑

1425年頃、名声を得ていたドナテッロはミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(後に建築家として活躍)を協力者として、ドナテッロのローマ滞在期を除き、1430年代後半にかけてしばしば共同制作を行った。
1425〜27年 「枢機卿バルダッサーレ・コッシャ(対立教皇ヨハネス23世)墓碑」
1427〜28年 「枢機卿ライナルド・ブランカッチ墓碑」
1427〜38年 「バルトロメオ・アラガッツィ墓碑」
1428〜38年 「プラート説教壇」
などの大作を制作した。
右図は「枢機卿バルダッサーレ・コッシャ(対立教皇ヨハネス23世)墓碑」。
対立教皇ヨハネス23世は1415年コンスタンツ宗教会議で退位させられた人物。その後4年間ドイツで幽閉されていたが、フィレンツェの指導者たちが身代金を支払って釈放された。ヨハネス23世によって、メディチ銀行が大銀行になったとされている。
コッシャはフィレンツェに来て半年後に死去した。洗礼堂に墓が造られることを望み、墓費用の資金を身近な人に託していた。コッシャの遺言執行人たちの要請を受けて、カリマーラ組合が墓碑建造の許可を与えた。
墓碑全体の構成はドナテッロとミケロッツォ、鍍金を施したコッシャのブロンズ横臥像はドナテッロ、それ以外の部分はミケロッツォと助手たちによって制作された。
1420年代

ドナテッロとミケロッツォ
枢機卿バルダッサーレ・コッシャ(対立教皇ヨハネス23世)墓碑
1425〜27年 フィレンツェ 洗礼堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
フィレンツェの美術 上巻 日本放送出版協会
イタリア・ルネサンスの巨匠たち8 ドナテッロ