
国際ゴシック様式
1400年前後の数十年のあいだ、ヨーロッパの相互交流があった都市でほぼ同時に、各地で互いに類似した様式が現れた。宮廷文化をもつ都市が多かったが、富を蓄えはじめていた商業都市もあった。パリ、ディジョン、アヴィニョン、ケルン、ミラノ、フィレンツェなど。
ドイツではカール4世以来、フランス宮廷があったパリや教皇庁があったアヴィニョンと関係が深かったプラハが、この様式の中心地となった。輪郭線や衣裳の流れるようなアラベスク(幾何学模様ではなく、植物の葉・蔓などを唐草模様にしたもの?)と貴族趣味を思わせる豪華で優雅な形態。衣襞にみられる柔らかい衣文から「柔軟様式」と呼ばれ、それは14世紀後半の「ヴィッティンガウ祭壇画」にみられる。ボヘミア絵画が衰退した後は「美しき聖母」と呼ばれる彫刻作品に受け継がれ、帝国東方へ広まった。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
ヨーロッパ(北方)ルネサンス
ドイツではカール4世以来、フランス宮廷があったパリや教皇庁があったアヴィニョンと関係が深かったプラハが、この様式の中心地となった。輪郭線や衣裳の流れるようなアラベスク(幾何学模様ではなく、植物の葉・蔓などを唐草模様にしたもの?)と貴族趣味を思わせる豪華で優雅な形態。衣襞にみられる柔らかい衣文から「柔軟様式」と呼ばれ、それは14世紀後半の「ヴィッティンガウ祭壇画」にみられる。ボヘミア絵画が衰退した後は「美しき聖母」と呼ばれる彫刻作品に受け継がれ、帝国東方へ広まった。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
ヨーロッパ(北方)ルネサンス
ドイツ南東部ではミュンヘンにある2点の「キリスト磔刑図(1400年頃)」。バイエルンの画家の作品は、激しい表現を好むバイエルンが、表現主義的造形を受け入れて悲劇的な苦悩を示している。ペール祭壇画は内面的な表現を薄めて、上品で静かな形式にまとめている。ニュルンベルクの「聖母戴冠」にもプラハからの影響がみられる。
ドイツ西部では、プラハのテオドリックを受け継ぐ画家ベルトラム(1340年頃〜1414/15)がハンブルクで活動していた。またブルゴーニュ文化圏と接する、ドルトムントでコンラート・フォン・ゾーストが「ニーダーヴィルドゥンゲン祭壇画」を残している。中央図・左下の女性たちの衣裳が作る線は優雅な装飾模様となり、身振りは悲しみの作法に従っているようにみえる。画家フランケ(活動期1400〜1425)がハンブルクで描いた「イギリス貿易商会祭壇画(トマス祭壇画)」聖母伝の「幼児の礼拝」は星空のもとで静かにイエスを拝む聖母が童話のように描かれている。ドイツでは東のボヘミアと西のブルゴーニュ、両方からの影響がみられる。
ドイツ西部では、プラハのテオドリックを受け継ぐ画家ベルトラム(1340年頃〜1414/15)がハンブルクで活動していた。またブルゴーニュ文化圏と接する、ドルトムントでコンラート・フォン・ゾーストが「ニーダーヴィルドゥンゲン祭壇画」を残している。中央図・左下の女性たちの衣裳が作る線は優雅な装飾模様となり、身振りは悲しみの作法に従っているようにみえる。画家フランケ(活動期1400〜1425)がハンブルクで描いた「イギリス貿易商会祭壇画(トマス祭壇画)」聖母伝の「幼児の礼拝」は星空のもとで静かにイエスを拝む聖母が童話のように描かれている。ドイツでは東のボヘミアと西のブルゴーニュ、両方からの影響がみられる。