
ポルトガルの社会と文化 13・14世紀
11世紀末にカスティーリャ・レオン王国のアルフォンソ6世から、ポルトゥカーレ伯領とコインブラ伯領がアンリ・ド・ボルゴーニャ(ブルゴーニュ)に委譲されたことに始まったポルトガル王国。レコンキスタの進展にともなって中世の身分社会にも変化が現れた。
貴族は大貴族(リコ・オーメン)、農村の中貴族(インファンサン)、小貴族(騎士・カヴァレイロ、従者・エクスデイロ)に大別される。リコ・オーメンは国外から移住してレコンキスタで功績をあげた家門と国王の寵臣が多く、小貴族を家臣として従属させて勢力を伸ばしていた。古い血統を誇るインファンサン(のちにフィダルゴと呼ばれる)は零落傾向だった。
聖職者の司教や騎士団長は大領主としてリコ・オーメンと同等だったが、小貴族や下層に属する聖職者もいた。レコンキスタの主力だった富裕自由農民(平民騎士)の一部は小貴族に取り込まれ、騎士階層が作られた。貴族の領主直営地を耕作していた農奴の多くは解放されるか逃散し、征服地に入植したり、都市で職人になった。
多くのイスラム教徒は国外に逃れ、残っていたイスラム教徒も14世紀のうちに姿を消した。ユダヤ教徒は居住地区を固定され、15世紀末まで総人口の4%を越えなかった。レコンキスタ完了後のポルトガルは、少数のユダヤ人を除いてほとんどがキリスト教徒だった。
用語集 ヨーロッパ史 スペイン・ポルトガル史
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
貴族は大貴族(リコ・オーメン)、農村の中貴族(インファンサン)、小貴族(騎士・カヴァレイロ、従者・エクスデイロ)に大別される。リコ・オーメンは国外から移住してレコンキスタで功績をあげた家門と国王の寵臣が多く、小貴族を家臣として従属させて勢力を伸ばしていた。古い血統を誇るインファンサン(のちにフィダルゴと呼ばれる)は零落傾向だった。
聖職者の司教や騎士団長は大領主としてリコ・オーメンと同等だったが、小貴族や下層に属する聖職者もいた。レコンキスタの主力だった富裕自由農民(平民騎士)の一部は小貴族に取り込まれ、騎士階層が作られた。貴族の領主直営地を耕作していた農奴の多くは解放されるか逃散し、征服地に入植したり、都市で職人になった。
多くのイスラム教徒は国外に逃れ、残っていたイスラム教徒も14世紀のうちに姿を消した。ユダヤ教徒は居住地区を固定され、15世紀末まで総人口の4%を越えなかった。レコンキスタ完了後のポルトガルは、少数のユダヤ人を除いてほとんどがキリスト教徒だった。
用語集 ヨーロッパ史 スペイン・ポルトガル史
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
国王と教会は所領と裁判権をめぐって争っていたが、ポルトガルの文化と市民の生活は、ローマ・カトリックによっていた。主な建造物は、国王の城塞を除くとほとんどが教会、修道院、騎士団のものだった。北部はフランスのクリュニー・シトー修道会の影響を受けたロマネスク、南部はレコンキスタ終盤以後にフランシスコ・ドミニコ修道会の影響を受けたゴシックに大別できる。ロマネスクの構造にゴシックの装飾やアーチをあわせたものも多い。またイスラム教会から改装されたものも多い。
司教座教会付属の学校やアルコバサ、サンタ・クルスの修道院は聖職者育成だけでなく、公教育にも貢献した。1290年には教会からの出資でコインブラ大学の前身がリスボンで創設された。しかし14世紀に所在地をリスボン・コインブラ間で数回移転して衰退してしまった。
宮廷では貴族の詩人兼作曲家トロヴァドール(トロバドゥール)と遍歴する楽師による詩と音楽の文化が盛んになった。ポルトガルにはブルゴーニュ出身の王家や多くの騎士が来ていて、フランス文化の影響が強かったとされる。イベリア半島のトロヴァドールはドウロ川以北のガリシア・ポルトガル語を好んで使ったとされる。それがモンデーゴ川以南で使われていたルシタニア・モサラベ語と融合して、13世紀にポルトガル語が分化したらしい。13世紀末にはヨーロッパ諸国のなかでは早く、公用語として採用され、公文書は教会文書も含めてポルトガル語で書かれるようになった。
司教座教会付属の学校やアルコバサ、サンタ・クルスの修道院は聖職者育成だけでなく、公教育にも貢献した。1290年には教会からの出資でコインブラ大学の前身がリスボンで創設された。しかし14世紀に所在地をリスボン・コインブラ間で数回移転して衰退してしまった。
宮廷では貴族の詩人兼作曲家トロヴァドール(トロバドゥール)と遍歴する楽師による詩と音楽の文化が盛んになった。ポルトガルにはブルゴーニュ出身の王家や多くの騎士が来ていて、フランス文化の影響が強かったとされる。イベリア半島のトロヴァドールはドウロ川以北のガリシア・ポルトガル語を好んで使ったとされる。それがモンデーゴ川以南で使われていたルシタニア・モサラベ語と融合して、13世紀にポルトガル語が分化したらしい。13世紀末にはヨーロッパ諸国のなかでは早く、公用語として採用され、公文書は教会文書も含めてポルトガル語で書かれるようになった。