大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

キエフ・ルーシ1

650年に成立したアラブ帝国(イスラム教徒)は、711年にジブラルタル海峡からスペインに入り、732年にトゥール・ポワティエで敗れたことで西への進出は終わった。東への進出は中央アジアに進み、751年のタラス河畔の戦いで、アラブの征服戦争が終わった。これによってアラブ帝国(アッバース朝)では奴隷が不足し、あらたな奴隷獲得地とされたのがハザール・ハン国だった。この地域はアラブではサクラービア、奴隷(サカリーバ)の地と呼ばれた。
アッバース朝では南フランスを本拠地に奴隷を主要商品とする二つの国際的商人団が活動していた。ユダヤ人商人団ラダニヤとキリスト教商人団ルーシ。イスラム教とキリスト教が対立する地中海を航行できた啓典の民ユダヤ人のほうが750年頃から奴隷貿易にかかわり、バルト海からヴォルガ川を南下し、途中で拠点をつくっていったルーシは800年頃から加わったらしい。
835年頃、ハザールで貴族による反乱(カバール革命)が起きて、ハザールのハン(汗)は家族と共にヴォルガのロストフに亡命した。ロストフはルーシ商人団がつくった根拠地のひとつで、ルーシ商人団の長の娘とハザール・ハンの息子が結婚して、ルーシ・ハン国が成立した。
863年にビザンツがアラブとの海戦でギリシア火(一種の火炎放射器)を使って勝利して以降、コンスタンティノープルが中継貿易地となって、南北のルートとしてドニエプル川が使われるようになった。ハザールの首都イティリと東フランクのレーゲンスブルクを結ぶ陸路と交差する地点がキエフで、9世紀終わり頃にキエフ・ルーシが成立した。
用語集 ヨーロッパ史 ポーランド・ウクライナ史
キエフ・ルーシ2