
ポーランドの社会・経済 15世紀
15世紀のポーランド経済は発展したが、社会経済の構造に新しい要素が加わってきた。
ドイツ法は中央部やマゾフシェ、ルーシ県に広まり、ポーランド法の村でも地代や経営面ではドイツ法に似た制度に変わっていった。地代の金納化は農民の豊かさと自由度を高めた。この時代に建設された都市は小さなものが多かったが、近在の農村の貨幣経済化を支えた。古くからの都市も活気を保ち、豊かさや自治の面でも発展していた。中程度の都市にも数個から十数個のギルドがあった。
バルト海の貿易は急成長した。西欧諸国は資本主義的経済様式へ移り始めていた。毛織物が大量に生産され、造船業などで都市も発達した。食糧の穀物や工業原料としての木材などの供給源になったのが、ヴィスワ川とその支流の水運に恵まれたポーランドだった。15世紀半ば、グダンスクから輸出された穀物は年間5千トンだったのが、王領プロイセンを獲得したのちの15世紀末には5倍になっていた。西欧との貿易拡大が国内の需要増もあって、穀物や林産物生産を刺激した。貨幣価値の下落で地代収入減少に苦しんでいた、中小領主層は穀物の商品生産を始めた。
用語集 ヨーロッパ史 ポーランド・ウクライナ史
世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史
ドイツ法は中央部やマゾフシェ、ルーシ県に広まり、ポーランド法の村でも地代や経営面ではドイツ法に似た制度に変わっていった。地代の金納化は農民の豊かさと自由度を高めた。この時代に建設された都市は小さなものが多かったが、近在の農村の貨幣経済化を支えた。古くからの都市も活気を保ち、豊かさや自治の面でも発展していた。中程度の都市にも数個から十数個のギルドがあった。
バルト海の貿易は急成長した。西欧諸国は資本主義的経済様式へ移り始めていた。毛織物が大量に生産され、造船業などで都市も発達した。食糧の穀物や工業原料としての木材などの供給源になったのが、ヴィスワ川とその支流の水運に恵まれたポーランドだった。15世紀半ば、グダンスクから輸出された穀物は年間5千トンだったのが、王領プロイセンを獲得したのちの15世紀末には5倍になっていた。西欧との貿易拡大が国内の需要増もあって、穀物や林産物生産を刺激した。貨幣価値の下落で地代収入減少に苦しんでいた、中小領主層は穀物の商品生産を始めた。
用語集 ヨーロッパ史 ポーランド・ウクライナ史
世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史
シュラフタ層は小さな直営地しかもっていなかった、大量生産するには、規模を拡大し、安価な労働力を確保する必要があった。土地は開墾しやすい草地や未利用の畑のほか、世襲ソウティス(領主と農民との中間身分。通常、村の建設を請け負った者)の農場が直営地に取り込まれていった。1423年、ヴォルタの全国集会で制定された法で、貴族身分は「不従順で役立たずのソウティス」からその権利全体を買い取る権限を得ていた。
労働力は農民の賦役と農繁期の安価な雇用労働力確保でまかなう方法がとられた。農民の退去・逃亡を防ぐために、ヴォルタの法以降徐々に移動の自由を制限する法が制定された。1496年には、村から移住できる農夫が年間一人とされ、都市に転居できる農民家庭の男子が一人に限定された。労働力に関してはドイツ法の流れに逆らって、賦役農奴制へ戻る方法が採られた。
シュラフタは都市にも変化を求めた。1423年のヴォルタの法は、手工業製品の最高価格の設定権と度量衡の監督権を県知事に与えた。1456年にはクラクフ市が臨時税への同意権を失い、同市への課税は全国議会やクラクフ県の地方議会の可決と連動した。1496年の法は、自家用の購入品と自領内での生産品をすべて無関税で運ぶ権利を貴族に与え、都市民には領地の購入を禁じている。
労働力は農民の賦役と農繁期の安価な雇用労働力確保でまかなう方法がとられた。農民の退去・逃亡を防ぐために、ヴォルタの法以降徐々に移動の自由を制限する法が制定された。1496年には、村から移住できる農夫が年間一人とされ、都市に転居できる農民家庭の男子が一人に限定された。労働力に関してはドイツ法の流れに逆らって、賦役農奴制へ戻る方法が採られた。
シュラフタは都市にも変化を求めた。1423年のヴォルタの法は、手工業製品の最高価格の設定権と度量衡の監督権を県知事に与えた。1456年にはクラクフ市が臨時税への同意権を失い、同市への課税は全国議会やクラクフ県の地方議会の可決と連動した。1496年の法は、自家用の購入品と自領内での生産品をすべて無関税で運ぶ権利を貴族に与え、都市民には領地の購入を禁じている。