
人口 開墾と干拓
13世紀の間に、フランスの人口は2.5倍の2000万人に増えたとされる。イングランドでも1086年の110万人が1346年には370万人に増えたとされ、ヨーロッパ全体が気候に恵まれて、農業が発展し、人口が増えたらしい。
13世紀始め、総人口の10%が都市に住み、13世紀末には15%に増えたとされる。世紀末のパリの人口は8万人説から20万人説と開きががあってはっきりしない。2番目に人口が多かったのはセーヌ川河口に近い港町ルーアン。パリ北部の諸伯領の人口密度が高く、中部、南部では低かった。それぞれの地方でも沿岸部と内陸部、農村地域では土地の粘土質と黄土質による違いもあった。
12世紀は「大開墾の時代」といわれたが、13世紀に入ってもそれは続いていた。森林の中央部を開墾してあらたな定住集落がつくられていた。
13世紀後半になると、森林の開墾から湿地や沼沢地の干拓に重点が移された。フランドル地方で海岸の低湿地が干拓され、あらたな耕作地や牧草地となった。ラングドックでもモンタディの干拓地がつくられている。
大きな河川沿いにも、大水が出たときの乱流域などが湿地帯として広がっていた。アンジェ近くのロワール川に堤防が作られたのは1160年頃、堤防を意味するトゥルシア(tursia)という言葉はアンジュー地方の方言で、この地方から堤防が作られるようになったことがわかる。川筋が確定されて、湿地帯が干拓され、堤防の頂部は交通路となり、基部には曳舟用の通路が設けられた。
13世紀始め、総人口の10%が都市に住み、13世紀末には15%に増えたとされる。世紀末のパリの人口は8万人説から20万人説と開きががあってはっきりしない。2番目に人口が多かったのはセーヌ川河口に近い港町ルーアン。パリ北部の諸伯領の人口密度が高く、中部、南部では低かった。それぞれの地方でも沿岸部と内陸部、農村地域では土地の粘土質と黄土質による違いもあった。
12世紀は「大開墾の時代」といわれたが、13世紀に入ってもそれは続いていた。森林の中央部を開墾してあらたな定住集落がつくられていた。
13世紀後半になると、森林の開墾から湿地や沼沢地の干拓に重点が移された。フランドル地方で海岸の低湿地が干拓され、あらたな耕作地や牧草地となった。ラングドックでもモンタディの干拓地がつくられている。
大きな河川沿いにも、大水が出たときの乱流域などが湿地帯として広がっていた。アンジェ近くのロワール川に堤防が作られたのは1160年頃、堤防を意味するトゥルシア(tursia)という言葉はアンジュー地方の方言で、この地方から堤防が作られるようになったことがわかる。川筋が確定されて、湿地帯が干拓され、堤防の頂部は交通路となり、基部には曳舟用の通路が設けられた。
開墾村落には開墾者や入植者が住み集落がつくられた。フランス西部一帯でこれらの集落はブール(bourg)と呼ばれた。ブールの住民を意味するブルゲンセス(burgenses)から有産市民ブルジョワという言葉が生まれた。ノルマンディ地方では領主層によって開墾が進められ、衰退していた古典荘園の直領地が多く利用された。
南西フランスでは13世紀初めに新村建設が始まり、14世紀中頃まで続いた。「バスチード」と呼ばれる新村は、散居的な住民を統合し、税の徴収など住民を管理しやすくする目的もあった。地中海沿岸地方では、新しい定住の組織化として、山の中腹や崖の上などに高地防備集落(カストルム、カステルム)がつくられた。農村成長の成果だとされるが、具体的な理由はわからない。
領主は開拓した耕地の入植者を増やすために、さまざまな特典を保証した。労働賦役を貢租支払いに代えたり、貢租を一定期間免除したり、移動の自由を保証するなど。代表的な法に「ボーモン・タン・ナルゴンヌの特許状」がある。これらの好条件は新村だけへの適用ではすまなくなった。旧来の村落の農民たちが、特典のために新村へ移動するのを防ぐために、同じような条件を旧来の村落にも認めなければならなくなり、開墾と新村建設は、領主との関係で農民の立場を強くした。
用語集 ヨーロッパ史 フランス史
世界各国史12フランス史
南西フランスでは13世紀初めに新村建設が始まり、14世紀中頃まで続いた。「バスチード」と呼ばれる新村は、散居的な住民を統合し、税の徴収など住民を管理しやすくする目的もあった。地中海沿岸地方では、新しい定住の組織化として、山の中腹や崖の上などに高地防備集落(カストルム、カステルム)がつくられた。農村成長の成果だとされるが、具体的な理由はわからない。
領主は開拓した耕地の入植者を増やすために、さまざまな特典を保証した。労働賦役を貢租支払いに代えたり、貢租を一定期間免除したり、移動の自由を保証するなど。代表的な法に「ボーモン・タン・ナルゴンヌの特許状」がある。これらの好条件は新村だけへの適用ではすまなくなった。旧来の村落の農民たちが、特典のために新村へ移動するのを防ぐために、同じような条件を旧来の村落にも認めなければならなくなり、開墾と新村建設は、領主との関係で農民の立場を強くした。
用語集 ヨーロッパ史 フランス史
世界各国史12フランス史