
魔女狩り
宮廷と都市から始まったエリート文化は、地方の小都市、農村へとその地の名望家層に受け入れられて広まった。しかし、新しい外からの価値観を共同体に取り入れるために、共同体の再編がおこなわれて、文化的摩擦が起こった。
かつては迷信によって起きたとされていた魔女狩りは、近年になって民衆文化とのかかわりでとらえられている。呪術的・民俗的要素を信仰の中に残していた中世の人々にとって、魔女は超自然的(神秘的)な力を借りて災いをもたらしかねない存在であるとともに、その力に対抗するために普通の人間が頼りにする存在だった。
魔女狩りは14世紀からおこなわれていたが、件数は少なかった。16世紀に増え始め、16世紀末から17世紀中頃に最も多くなった。
宗教改革・対抗宗教改革で、新旧両派がキリスト教の教義を貴族や都市のエリート層だけでなく、民衆にも徹底させようとして、民俗的な信仰との対立が強まった。教会は、魔女の持つ超自然的な力は悪魔から与えられたもので、魔女は全面的に否定される存在であると主張した。これらの考えは異端審問官、神学者、法学者などの著作によって広まった。
用語集・地域別 ヨーロッパ史 フランス史
世界各国史12フランス史
かつては迷信によって起きたとされていた魔女狩りは、近年になって民衆文化とのかかわりでとらえられている。呪術的・民俗的要素を信仰の中に残していた中世の人々にとって、魔女は超自然的(神秘的)な力を借りて災いをもたらしかねない存在であるとともに、その力に対抗するために普通の人間が頼りにする存在だった。
魔女狩りは14世紀からおこなわれていたが、件数は少なかった。16世紀に増え始め、16世紀末から17世紀中頃に最も多くなった。
宗教改革・対抗宗教改革で、新旧両派がキリスト教の教義を貴族や都市のエリート層だけでなく、民衆にも徹底させようとして、民俗的な信仰との対立が強まった。教会は、魔女の持つ超自然的な力は悪魔から与えられたもので、魔女は全面的に否定される存在であると主張した。これらの考えは異端審問官、神学者、法学者などの著作によって広まった。
用語集・地域別 ヨーロッパ史 フランス史
世界各国史12フランス史
この時期農村では貧富の差が拡大して、共同体内で緊張が生まれていた。村の小名望家層は緊張の身代わりを魔女に押しつけて、自らの支配を確立しようとしたらしい。魔女狩りはキリスト教の伝道が民俗信仰を攻撃していた農村地帯に多く、1580〜1630年頃には北東部、東部国境地帯(17世紀半ば以降フランスに編入)、1640〜80年には、その隣接地域や王国周辺部に広がった。
しかし民衆文化が消えたわけではなかった。民衆の日常生活には王権の手は届かず、人々は二重の行動基準をもつようになった。表面上は(裁判所や教会では)服従の姿勢をみせ、他方では伝統的な自分たちのやり方で行動し、ものごとを処理した。
民衆文化とエリート文化は相互に影響しあった。語り継がれた民話がペローによって「すぎさりし時代の物語」(ペロー童話集 1697年)として教訓をともなって文字化された。エリート階層の大人や子供に読まれ、改めて民衆のもとに戻っている。
17世紀初めからトロワで民衆向けに発行された粗末な小冊子「青表紙本」もある。書物が高価だった時代に、低価格なことから全国に版元が広まり、19世紀後半に新聞が広まるまで出版された。行商人によって農村部にも広がり、夜の集いなどでも読まれた。信仰書、暦、異教的な怪奇譚など、都市の書籍商や文筆家が書いたものが、民衆に読まれていた。
しかし民衆文化が消えたわけではなかった。民衆の日常生活には王権の手は届かず、人々は二重の行動基準をもつようになった。表面上は(裁判所や教会では)服従の姿勢をみせ、他方では伝統的な自分たちのやり方で行動し、ものごとを処理した。
民衆文化とエリート文化は相互に影響しあった。語り継がれた民話がペローによって「すぎさりし時代の物語」(ペロー童話集 1697年)として教訓をともなって文字化された。エリート階層の大人や子供に読まれ、改めて民衆のもとに戻っている。
17世紀初めからトロワで民衆向けに発行された粗末な小冊子「青表紙本」もある。書物が高価だった時代に、低価格なことから全国に版元が広まり、19世紀後半に新聞が広まるまで出版された。行商人によって農村部にも広がり、夜の集いなどでも読まれた。信仰書、暦、異教的な怪奇譚など、都市の書籍商や文筆家が書いたものが、民衆に読まれていた。