
ワラキア・モルドヴァ・トランシルヴァニア
ドナウ川の北に広がるダキア地方には、古代末期からさまざまな遊牧騎馬民族が現れ、不安定な政治状況が続いていた。ルーマニア人の起源は一般的にダキア・ゲタイ人とローマ人との混血によって生まれたダコ・ロマン人だとされている。ローマ軍がダキアから撤退した後、カルパティア山脈の山中に避難して、ロマンス系言語などの民族的特徴を維持して、10世紀頃からヴラフと呼ばれるようになったとされる。反論も多く、ドナウ川以南の地方からの移住者とする説もある。ヴラフはドナウ川以南にも居住して、バルカンの山岳地帯で放牧を営んでいる集団を指している。
14世紀初め、アルジェシュ地方のクネズ(首長)バサラブ(在位1310〜52)は、ハンガリー王が派遣した遠征軍を破って、ワラキア公国が独立した。その息子ニコラエ・アレクサンドル(在位1352〜64)は婚姻関係で公国の国際的地位を向上させ、首都アルジェシュに府主教座を創設した。その後、公の権力が強化され、外国商人に貿易特権を与えることで経済も発展した。
オスマン帝国がブルガリアやセルビアを制圧すると、ミルチャ1世(在位1386〜1418)やヴラド・ツェペシュ・ドラクル(串刺公 在位1448、1456〜62、1476 吸血鬼ドラキュラのモデルになった)はオスマン軍と戦い、メフメト2世の軍も退けたが、最終的には貢納金を支払いオスマン帝国の宗主権を認めた。
用語集 ヨーロッパ史 バルカン史
世界各国史18 バルカン史
14世紀初め、アルジェシュ地方のクネズ(首長)バサラブ(在位1310〜52)は、ハンガリー王が派遣した遠征軍を破って、ワラキア公国が独立した。その息子ニコラエ・アレクサンドル(在位1352〜64)は婚姻関係で公国の国際的地位を向上させ、首都アルジェシュに府主教座を創設した。その後、公の権力が強化され、外国商人に貿易特権を与えることで経済も発展した。
オスマン帝国がブルガリアやセルビアを制圧すると、ミルチャ1世(在位1386〜1418)やヴラド・ツェペシュ・ドラクル(串刺公 在位1448、1456〜62、1476 吸血鬼ドラキュラのモデルになった)はオスマン軍と戦い、メフメト2世の軍も退けたが、最終的には貢納金を支払いオスマン帝国の宗主権を認めた。
用語集 ヨーロッパ史 バルカン史
世界各国史18 バルカン史
モルドヴァでもルーマニア人の国家、モルドヴァ公国が成立した(一説では1359年とされる)。ワラキアのミルチャ1世に支持されて公位に就いたアレクサンドル(在位1400〜32)が国家を発展させ、国際的地位を向上させた。その後大貴族による覇権抗争が続いたが、シュテファン3世(大公 在位1457〜1504)により収拾され、中央集権化が進んだ。シュテファンはオスマンに対する貢納を拒否したが、後継者ボグダン3世(在位1504〜17)はオスマン帝国の宗主権を認め、オスマンから自治を保証された。
トランシルヴァニア(森の彼方の国)は、カルパティア山脈に囲まれた台地で、農耕牧畜に適し、鉱物資源に恵まれ、交易活動の中継地だった。12世紀後半からハンガリー王国の支配が強まり、封建的搾取のために多くの農民が農奴のようになった。モンゴル侵寇(1241〜43年)後、ハンガリー王ベーラ4世(在位1235〜70)は経済復興と防衛力強化のために、マジャール人やチュルク系遊牧民とされるセーケイ人を入植させ、ドイツ騎士団を招き入れた。騎士団は後に追放されたが、ドイツ人植民は増え、農業や商業が発展した。ドイツ人は一般に「ザクセン人」と呼ばれ、シビウ(ヘルマンシュタット)などドイツ風の都市を建設した。これらの都市は中継貿易で発展し、ドイツ人植民者はマジャール人、セーケイ人とともに特権階級を形成した。
14・15世紀に封建的土地所有制度が広まり、貴族・教会などの支配階級と都市の商工業者・小作人・農奴などの被支配者による社会となった。15世紀になると、義務負担の増加や移動の自由を失った農民たちが一揆を起こしたが、組織力が弱く鎮圧された。
トランシルヴァニア(森の彼方の国)は、カルパティア山脈に囲まれた台地で、農耕牧畜に適し、鉱物資源に恵まれ、交易活動の中継地だった。12世紀後半からハンガリー王国の支配が強まり、封建的搾取のために多くの農民が農奴のようになった。モンゴル侵寇(1241〜43年)後、ハンガリー王ベーラ4世(在位1235〜70)は経済復興と防衛力強化のために、マジャール人やチュルク系遊牧民とされるセーケイ人を入植させ、ドイツ騎士団を招き入れた。騎士団は後に追放されたが、ドイツ人植民は増え、農業や商業が発展した。ドイツ人は一般に「ザクセン人」と呼ばれ、シビウ(ヘルマンシュタット)などドイツ風の都市を建設した。これらの都市は中継貿易で発展し、ドイツ人植民者はマジャール人、セーケイ人とともに特権階級を形成した。
14・15世紀に封建的土地所有制度が広まり、貴族・教会などの支配階級と都市の商工業者・小作人・農奴などの被支配者による社会となった。15世紀になると、義務負担の増加や移動の自由を失った農民たちが一揆を起こしたが、組織力が弱く鎮圧された。
