
セルビア
セルビア人に対するキリスト教の宣教活動は、イリュリクム(バルカン半島西部)の教会管轄権をもっていたローマ教会によって始められた。924年以降ブルガリアの支配下に入ると、ブルガリア教会を通してスラヴ語典礼が導入された。シメオン帝はラシュカに主教座を設け、スラヴ語による布教活動を進めた。シメオンの死後、ブルガリアが衰退し、1018年にビザンツ帝国に征服され、ビザンツの保護下におかれた。
12世紀後半ステファン・ネマニャがセルビアの国家統一を実現した。ラシュカを首都にしてセルビア教会のビザンツ教会への帰属を決定した。アドリア海沿岸住民のカトリック信仰は認められた。1196年ネマニャは息子のヴカンとステファンに譲位して、末子サヴァのいる聖山アトスで修道生活に入り、サヴァとともにセルビアの修道院としてヒランダル修道院を創建した。
用語集 ヨーロッパ史 バルカン史
世界各国史18 バルカン史
12世紀後半ステファン・ネマニャがセルビアの国家統一を実現した。ラシュカを首都にしてセルビア教会のビザンツ教会への帰属を決定した。アドリア海沿岸住民のカトリック信仰は認められた。1196年ネマニャは息子のヴカンとステファンに譲位して、末子サヴァのいる聖山アトスで修道生活に入り、サヴァとともにセルビアの修道院としてヒランダル修道院を創建した。
用語集 ヨーロッパ史 バルカン史
世界各国史18 バルカン史
サヴァは1219年に大主教に任命され、セルビア教会の独立と自治が承認された。サヴァはジチャに大主教座をおき(のちにコソヴォ地方のペーチに移される)、セルビア教会の組織作りと国民の教化を進めた。また多数の宗教書の翻訳や父王ネマニャの生涯を記した「聖シメオン伝」でセルビアの文語の確立に貢献して、セルビアの国民的聖人となった。13世紀末からセルビアは経済力で国力を充実させ、ステファン・ドゥシャンの時代に最盛期を迎えた。
ネマニャ朝のセルビア君主は、各地に多数の修道院を建立した。ステファン・ネマニャはアトス山のヒランダル修道院やセルビアのストゥデニツァ修道院の建設を命じている。ストゥデニツァ修道院は1183年に着工され、聖母聖堂や王の聖堂など13の聖堂をもつセルビア最大の修道院になった。聖母聖堂はビザンツ様式とロマネスク様式を折衷させたラシュカ派様式と呼ばれる建物。
ステファン・ウロシュ1世が1260年頃に建てたラシュカ地方のソポチャニ修道院にはビザンツ人画家によるとされるフレスコ画が残されている。グラチャニツァ、デチャニ、レッサヴァなどの修道院も教会建築、美術、文芸の中心地となった。
ネマニャ朝のセルビア君主は、各地に多数の修道院を建立した。ステファン・ネマニャはアトス山のヒランダル修道院やセルビアのストゥデニツァ修道院の建設を命じている。ストゥデニツァ修道院は1183年に着工され、聖母聖堂や王の聖堂など13の聖堂をもつセルビア最大の修道院になった。聖母聖堂はビザンツ様式とロマネスク様式を折衷させたラシュカ派様式と呼ばれる建物。
ステファン・ウロシュ1世が1260年頃に建てたラシュカ地方のソポチャニ修道院にはビザンツ人画家によるとされるフレスコ画が残されている。グラチャニツァ、デチャニ、レッサヴァなどの修道院も教会建築、美術、文芸の中心地となった。