
サヴォイア公国の内乱
北イタリアに拠点を得たフランスは、ミラノ公国の獲得をねらって1635年、30年戦争に参入してハプスブルク家との全面対決することになった。フランスは、ルイ13世の妹マリーア・クリスティーナと結婚していたサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世、マントヴァ公カルロ1世、パルマ公オドアルド・ファルネーゼと結んでミラノ公国を取り囲んだ。しかしパルマはモーデナ公の圧力を受け、サヴォイア公国は内紛に陥って反スペイン連合は機能しなかった。
1630年代
世界各国史15 イタリア史
1630年代
世界各国史15 イタリア史
サヴォイア公国では、1637年にアメデーオ1世が死去し、長男フランチェスコ・ジャチントが継いだが、翌38年に死亡した。次男カルロ・エマヌエーレ2世(在位1638〜75)が4歳で公位に就き、母后マリーア・クリスティーナが摂政になった。これにアメデーオ1世の弟たちが反対し、母后(マダム)派をフランスが、公弟派をスペインが支援して内乱になった。1642年、公弟派がマダム派に協力することで妥協が成立したが、人心は乱れ、国土は荒廃し、中央の支配権は弱まった。
1663年にマリーア・クリスティーナが死去し、即位25年のカルロ・エマヌエーレ2世が親政を始めた。
1663年にマリーア・クリスティーナが死去し、即位25年のカルロ・エマヌエーレ2世が親政を始めた。