
皇太子アーサーとスペイン王女キャサリンの結婚
戦乱が続く中で多くの貴族の家系が途絶え、ヘンリ7世の王位が確立されていった。さらに、ヘンリは大貴族の出現を、私兵の制限や婚姻相続の規制によって抑え、一方国王評議会のメンバーに、実務に詳しいジェントリ出身者を多く採用した。このような実力主義はテューダー朝の統治組織の特徴になった。
ヘンリは財政基盤の強化につとめた。廃絶した貴族の所領が王に戻ったこともあり、王領地の経営を王が監査するなどして、収入を増加させた。即位当時の王室収入を5万ポンドから治世末には14万ポンドに増やしたとされる。治世後期には戦争のために臨時税を求めることもなくなった。
ヘンリは外国との通商条約の締結や貿易商への支援をおこなうなど、貿易振興策をとり、関税収入は治世中で倍に増えた。貿易活動を活発にするには平和の維持が必要で、戦争を回避することが外交の基本になった。
ヘンリは財政基盤の強化につとめた。廃絶した貴族の所領が王に戻ったこともあり、王領地の経営を王が監査するなどして、収入を増加させた。即位当時の王室収入を5万ポンドから治世末には14万ポンドに増やしたとされる。治世後期には戦争のために臨時税を求めることもなくなった。
ヘンリは外国との通商条約の締結や貿易商への支援をおこなうなど、貿易振興策をとり、関税収入は治世中で倍に増えた。貿易活動を活発にするには平和の維持が必要で、戦争を回避することが外交の基本になった。
ヘンリの即位当時、スペインとフランスに挟まれた小国だったイングランドは、スペインと同盟することで生き残りを図った。1501年皇太子アーサーをスペイン王女キャサリンと結婚さることができ、翌年アーサーが急死すると、教皇の特赦をえて、次男ヘンリと未亡人となったキャサリンを結婚させた。スペインとの関係を維持してイングランドの地位を高めるためだった。
ウォーベックの乱以降緊張が続いていたスコットランドにたいしては、娘マーガレットをスコットランド王ジェイムズ4世(在位1488〜1513)に嫁がせるという婚姻政策で和平を確実なものにできた。
1500年代
世界各国史11 イギリス史
ウォーベックの乱以降緊張が続いていたスコットランドにたいしては、娘マーガレットをスコットランド王ジェイムズ4世(在位1488〜1513)に嫁がせるという婚姻政策で和平を確実なものにできた。
1500年代
世界各国史11 イギリス史