大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

マリ 即位・マクシミリアンと結婚

1477年2月の全国議会でフランドル、エノー、ブラーバンドの諸州はメヘレンの大評議院の廃止、宣戦や講和、課税についての議会の承認、都市や州の旧特権の復活を要求した「大特権」を起草。マリにこれを承認させ、マリは数ヶ月うちに各州に文書を発給した。またホラントとゼーラントは行政でのオランダ語の使用、州外の裁判への住民の召喚禁止を含む個別の大特権を承認させた。 地方自立主義が再生し、ブルゴーニュ家による王国建設の夢は潰えた。
1477年4月、マリは代理人を立てたオーストリア大公マクシミリアンと結婚した。マクシミリアンがマリの後見人となったことで、諸都市の強い抵抗と軍事的・財政的援助の拒否が起こった。1482年マリが狩猟中の事故で死亡、フィリップ端麗公(4才 在位1482〜1506)が伯位を継承したが、マクシミリアンが摂政となると各地で騒乱が起きた。全国議会は大特権による状況の回復を望んで譲歩したが、ヘントなど反ハプスブルク勢力の抵抗は続いた。
マクシミリアンは旧ブルゴーニュ所領の回復を目指して、フランスとの戦いを続け、1493年5月のサンリス協定でフランシュ・コンテとシャロレ、アルトワの一部を取り戻したが、その戦費の負担は人々の抵抗を引き起こした。
1356年フランス王ジャン2世がフランドル伯の相続人マルグリートとブルゴーニュ公でアルトワ伯のフィリップ・ド・ルーヴルを結婚させることで始まったブルゴーニュ公国が終わり、マリとマクシミリアンとの結婚、そしてマクシミリアンの長い統治によって、低地地方はハプスブルク家の支配に組み込まれていくことになった。
(ルクセンブルク公領はマクシミリアンによって後で領有することになったのかもしれない)

世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1470年代