
トレビゾンド帝国を征服
コンスタンティノープルを陥落させたメフメット2世はイスラームの掟シャリーアに従って掠奪を許した。その後、市内に入って住民の保護を宣言し、都市再建に着手した。帝国の都をエディルネから移し、コンスタンティヌスの街という公式名称は残されたが、ギリシア語の「都市へ」を意味するエスティン・ポリンに基づくイスタンブルの名前が広まっていった。
帝国の支配組織の専制化・集権化が進み、コンスタンティノープル征服に反対した大宰相を処刑、その後デウシルメ(少年徴集制度)などで集められた宮廷奴隷出身者が大宰相・宰相に任じられることが多くなった。
帝国の支配組織の専制化・集権化が進み、コンスタンティノープル征服に反対した大宰相を処刑、その後デウシルメ(少年徴集制度)などで集められた宮廷奴隷出身者が大宰相・宰相に任じられることが多くなった。
メフメット2世は1460年に、ペロポネソス半島に残ったパレオロゴス系モレア専制公国を征服、61年にはコムネノス系のトレビゾンド帝国を征服して、ビザンツ帝国系の国家はすべて消滅した。
オスマン帝国の支配下でないのは、すでにムスリムの支配下にあるアナトリア東部、エペイロスの一部などバルカンの限られた地域、ラテン人の支配下にあった島々とペロポネソス半島の海岸部の一部を残すだけだった。
1460年代
世界各国史17 ギリシア史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房 1466年 部分
オスマン帝国の支配下でないのは、すでにムスリムの支配下にあるアナトリア東部、エペイロスの一部などバルカンの限られた地域、ラテン人の支配下にあった島々とペロポネソス半島の海岸部の一部を残すだけだった。
1460年代
世界各国史17 ギリシア史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房 1466年 部分
