
ジョアン1世即位 アヴィス朝
アフォンソ4世の後継者、のちのペドロ1世(在位1357〜67)が王子だったとき、ペドロ王子は妻の女官(カスティーリャ貴族の娘)と恋に落ちた。アフォンソ4世は王子が女官に操られていると考えて、1355年その女官を殺害させた。揺らいでいたカスティーリャとの関係がさらに不穏になった。
ペドロ1世の長子フェルナンド1世(在位1367〜83)は、トラスタマラ朝を開いたエンリケ2世に対抗して、カスティーリャの王位継承権を主張した。断続的に三度の戦いになり、フェルナンドが王位継承権をイギリス王の息子ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(ペドロ1世の娘婿)に譲り、カスティーリャがフランスと同盟を結んだことで、この争いは百年戦争と連動することになった。この戦いの結果はポルトガルの大敗だった。国土は荒廃し、海軍はほぼ全滅した。和約によりカスティーリャ国王フアン1世はフェルナンドのただ一人の娘ベアトリスと結婚した。ポルトガルが併合される恐れができた。
戦争に疲れ、物価高騰に困窮していた都市下層民や職人たちは、リスボンをはじめ各地で反乱を起こしていた。1383年10月フェルナンドが死去すると、ベアトリスが即位し、その母レオノール・テレスが摂政になった。戦争で利益を得ていた大貴族メネゼス家出身のレオノール・テレスとその寵臣オーレム伯アンデイロは、都市下層民や一部の貴族から悪政の元凶と考えられてた。
1380年代 ヨーロッパ史年表
ペドロ1世の長子フェルナンド1世(在位1367〜83)は、トラスタマラ朝を開いたエンリケ2世に対抗して、カスティーリャの王位継承権を主張した。断続的に三度の戦いになり、フェルナンドが王位継承権をイギリス王の息子ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(ペドロ1世の娘婿)に譲り、カスティーリャがフランスと同盟を結んだことで、この争いは百年戦争と連動することになった。この戦いの結果はポルトガルの大敗だった。国土は荒廃し、海軍はほぼ全滅した。和約によりカスティーリャ国王フアン1世はフェルナンドのただ一人の娘ベアトリスと結婚した。ポルトガルが併合される恐れができた。
戦争に疲れ、物価高騰に困窮していた都市下層民や職人たちは、リスボンをはじめ各地で反乱を起こしていた。1383年10月フェルナンドが死去すると、ベアトリスが即位し、その母レオノール・テレスが摂政になった。戦争で利益を得ていた大貴族メネゼス家出身のレオノール・テレスとその寵臣オーレム伯アンデイロは、都市下層民や一部の貴族から悪政の元凶と考えられてた。
1380年代 ヨーロッパ史年表
同年12月、カスティーリャのフアン1世がレオノール派のためにポルトガルに侵攻しグアルダを占領した。ペドロ、フェルナンドに仕えていた大法官がリスボンの一部の市民と連携して、ペドロ1世の庶子でアヴィス騎士団長ジョアンを説いてアンデイロを殺害させ、ジョアンを「王国の統治者、防衛者」に推戴した。この知らせは全国に波及し、アレンテージョほか各地で暴動が広がった。
1384年1月、サンタレンまで侵攻してきたフアン1世にレオノールがポルトガルの統治権を委譲すると、国内は親カスティーリャ派の大貴族と、独立アヴィス派の下層民・ブルジョワジー・中小貴族に二分され、内乱になった。当初独立アヴィス派は劣勢だったが、リスボン攻囲中のカスティーリャ軍でペストが発生し、10月には兵を撤収した。1385年5月、コインブラで開催されたコルテスでジョアンが国王に選出された。8月フアン1世は再び侵入してきたが、ジョアン1世(在位1385〜1433)はイギリス弓兵の助力をえて、リスボン北方のアルジュバロータで迎え撃ち撃破した。
この動乱によって、レオノールと大貴族がカスティーリャに移り、新興貴族がポルトガルの権力を握った。イギリスとの同盟が強化され、以後の外交の基軸となった。また民衆蜂起・反乱の成功には、リスボンやポルトのブルジョワジーによる財政支援があり、ブルジョワジーはアヴィス朝の政策決定に参画する権利をえた。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
一部 大航海時代叢書2 西アフリカ航海の記録
1384年1月、サンタレンまで侵攻してきたフアン1世にレオノールがポルトガルの統治権を委譲すると、国内は親カスティーリャ派の大貴族と、独立アヴィス派の下層民・ブルジョワジー・中小貴族に二分され、内乱になった。当初独立アヴィス派は劣勢だったが、リスボン攻囲中のカスティーリャ軍でペストが発生し、10月には兵を撤収した。1385年5月、コインブラで開催されたコルテスでジョアンが国王に選出された。8月フアン1世は再び侵入してきたが、ジョアン1世(在位1385〜1433)はイギリス弓兵の助力をえて、リスボン北方のアルジュバロータで迎え撃ち撃破した。
この動乱によって、レオノールと大貴族がカスティーリャに移り、新興貴族がポルトガルの権力を握った。イギリスとの同盟が強化され、以後の外交の基軸となった。また民衆蜂起・反乱の成功には、リスボンやポルトのブルジョワジーによる財政支援があり、ブルジョワジーはアヴィス朝の政策決定に参画する権利をえた。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
一部 大航海時代叢書2 西アフリカ航海の記録