
ラヨシュ1世 即位
1342年ラヨシュ1世(在位1342〜82)は安定した内政、莫大な財産、アンジュー派貴族の支持を父カーロイから受け継いでハンガリー王位に就いた。国外に遠征して領土を広げたことから「大王」とも呼ばれている。
1347・1349年にはナポリ王国の女王ジョヴァンナと結婚した弟アンドラーシュが殺害され、ジョヴァンナを疑ったラヨシュはナポリ王位を要求して攻撃、ナポリを占領したがそれを維持することは困難だった。1370年にラヨシュの宮廷で育てられたドゥラッツォ公カルロ3世がジョヴァンナと戦い王位を奪った。
ダルマツィア都市への覇権をめぐってヴェネツィアと何度も戦い、カトリック布教を名分にバルカンにも遠征した。1375年にはトランシルヴァニアに侵入したオスマン軍の撃退に成功、「カトリック世界を守る騎士王」としてのイメージを広め、それによってアールパード家の聖王ラースローの後継者であると主張した。
皇帝カール4世とは良好な関係を保ち、皇帝の第二子ジギスムントとラヨシュの次女マーリアのあいだで婚約が成立し、ジギスムントはハンガリー宮廷で育てられた。
1370年にポーランドのカジミェシュ大王が死去してピアスト家が断絶すると、1339年のカーロイ1世とカジミェシュの取り決めに従って、ラヨシュがポーランド王位を継いで、一時的にハンガリー・ポーランド同君連合が成立した。ラヨシュには息子がなく、長女も若くして死亡したため、次女マーリアがハンガリー王位、末娘ヘドヴィグがポーランド王位(ポーランド名ヤドヴィガ)を継いで、同君連合は解消した。ヘドヴィグはリトアニア大公ヤゲウォと結婚し、ヤゲウォがヴワディスワフ2世としてポーランド王位に就いた。 1340年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
地図は ヨーロッパ歴史地図 原書房
1347・1349年にはナポリ王国の女王ジョヴァンナと結婚した弟アンドラーシュが殺害され、ジョヴァンナを疑ったラヨシュはナポリ王位を要求して攻撃、ナポリを占領したがそれを維持することは困難だった。1370年にラヨシュの宮廷で育てられたドゥラッツォ公カルロ3世がジョヴァンナと戦い王位を奪った。
ダルマツィア都市への覇権をめぐってヴェネツィアと何度も戦い、カトリック布教を名分にバルカンにも遠征した。1375年にはトランシルヴァニアに侵入したオスマン軍の撃退に成功、「カトリック世界を守る騎士王」としてのイメージを広め、それによってアールパード家の聖王ラースローの後継者であると主張した。
皇帝カール4世とは良好な関係を保ち、皇帝の第二子ジギスムントとラヨシュの次女マーリアのあいだで婚約が成立し、ジギスムントはハンガリー宮廷で育てられた。
1370年にポーランドのカジミェシュ大王が死去してピアスト家が断絶すると、1339年のカーロイ1世とカジミェシュの取り決めに従って、ラヨシュがポーランド王位を継いで、一時的にハンガリー・ポーランド同君連合が成立した。ラヨシュには息子がなく、長女も若くして死亡したため、次女マーリアがハンガリー王位、末娘ヘドヴィグがポーランド王位(ポーランド名ヤドヴィガ)を継いで、同君連合は解消した。ヘドヴィグはリトアニア大公ヤゲウォと結婚し、ヤゲウォがヴワディスワフ2世としてポーランド王位に就いた。 1340年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
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