
ティムール 1370年代
王位に就いたティムールはケシュに戻ると、側近の論功行賞をおこなった。ティムールと苦楽をともにしてきた部下を中枢に据え、古くからの部族を基盤とする勢力の力を削いで政権を強化していった。
1371年からティムールは、モグーリスタンとホラズムに遠征した。モグーリスタンはチャガタイ・ウルスの東部で、ティムールの意に沿う統治者のもとで安定させる必要があった。ホラズムはモンゴル帝国の時代、北半分がジョチ・ウルスに、南半分がチャガタイ・ウルスに属していた。ハーン権力が衰退すると有力部族コンギラトがスーフィー朝を建てて、ホラズム全域を支配していた。ティムールは南半分の返還を要求、出兵して入手した。1373年には長男ジャハンギールとスーフィー朝の王女との婚姻によってホラズム全域を勢力下にいれた。
世界各国史4 中央ユーラシア史
1370年代 アジア史年表
1371年からティムールは、モグーリスタンとホラズムに遠征した。モグーリスタンはチャガタイ・ウルスの東部で、ティムールの意に沿う統治者のもとで安定させる必要があった。ホラズムはモンゴル帝国の時代、北半分がジョチ・ウルスに、南半分がチャガタイ・ウルスに属していた。ハーン権力が衰退すると有力部族コンギラトがスーフィー朝を建てて、ホラズム全域を支配していた。ティムールは南半分の返還を要求、出兵して入手した。1373年には長男ジャハンギールとスーフィー朝の王女との婚姻によってホラズム全域を勢力下にいれた。
世界各国史4 中央ユーラシア史
1370年代 アジア史年表
ジョチ・ウルスでは、14世紀半ばにバトゥ裔が途絶え、政権争いが続いていた。トクタミシュはジョチ・ウルス左翼の支配権をオロス・ハーンと争って敗れ、ティムールを頼った。ティムールはトクタミシュに軍勢を与えたが敗れたため、1377年に自ら出陣、オロスを破りトクタミシュを左翼を統括するハーンとして即位させた。トクタミシュは援助を受けて、1378年春に首都サライに入り、ジョチ・ウルスの支配権を奪取した。
1379年、ティムールはスーフィー朝の首都ウルゲンチを攻略して、ホラズム全域を支配下にいれた。
遠征が続いたため、旧勢力は政治的策動がおこなえず、新支配層は戦利品を得、ティムール一族との婚姻などで社会的地位を上昇させた。不満を抱いた旧勢力、チャガタイ・ハーン以来の名門、スルドゥズとジャライル両部族は反乱を起こしたが鎮圧され、1376年に解体された。
1379年、ティムールはスーフィー朝の首都ウルゲンチを攻略して、ホラズム全域を支配下にいれた。
遠征が続いたため、旧勢力は政治的策動がおこなえず、新支配層は戦利品を得、ティムール一族との婚姻などで社会的地位を上昇させた。不満を抱いた旧勢力、チャガタイ・ハーン以来の名門、スルドゥズとジャライル両部族は反乱を起こしたが鎮圧され、1376年に解体された。
