
ティムール 1360年代
チャガタイ・ウルスは1340年代に東(モグーリスタン)と西(マー・ワラー・アンナフルが中心)に分裂した。
西では1346年に有力な(遊牧集団の長)アミール・カザガンがカザン・ハーンを殺害して実権を握った。カザガンはヘラートやインドへの遠征を企てていたが、1358年狩りの途中で暗殺された。
モグーリスタンでもドグラト部のアミールが勢力を伸ばしていたが、トゥグルク・ティムール・ハーンが即位し、権力確立に成功した。トゥグルク・ティムールはイスラームを受容し、カザガンが暗殺されて混乱していたマー・ワラー・アンナフルに2度(1360、61年)兵を進め、チャガタイ・ウルスを再統一した。
ティムールは1336年、ケシュ近郊で生まれた。父タラガイはチンギス・ハンからチャガタイに与えられた千人隊のひとつバルラス部に属していたが、有力者の地位を失い、わずかな従者を従えるだけになっていた。ティムールは指揮官としての才能を発揮して部下の数を増やし、1360年トゥグルク・ティムールに帰順して、父祖の所領ケシュ周辺の地を安堵され、翌年にはバルラス部の指揮権を委ねられた。
マー・ワラー・アンナフルには軍事・政治集団として、チャガタイ・ハーンに従って移住した遊牧集団やモンゴル帝国以来の遊牧集団、新たに作られた諸集団があった。ティムールはカザガンの孫でカラウナス部を率いていたアミール・フサインと結んだが、1365年モグール軍に大敗して、アム川の南に逃げた。
世界各国史4 中央ユーラシア史
西では1346年に有力な(遊牧集団の長)アミール・カザガンがカザン・ハーンを殺害して実権を握った。カザガンはヘラートやインドへの遠征を企てていたが、1358年狩りの途中で暗殺された。
モグーリスタンでもドグラト部のアミールが勢力を伸ばしていたが、トゥグルク・ティムール・ハーンが即位し、権力確立に成功した。トゥグルク・ティムールはイスラームを受容し、カザガンが暗殺されて混乱していたマー・ワラー・アンナフルに2度(1360、61年)兵を進め、チャガタイ・ウルスを再統一した。
ティムールは1336年、ケシュ近郊で生まれた。父タラガイはチンギス・ハンからチャガタイに与えられた千人隊のひとつバルラス部に属していたが、有力者の地位を失い、わずかな従者を従えるだけになっていた。ティムールは指揮官としての才能を発揮して部下の数を増やし、1360年トゥグルク・ティムールに帰順して、父祖の所領ケシュ周辺の地を安堵され、翌年にはバルラス部の指揮権を委ねられた。
マー・ワラー・アンナフルには軍事・政治集団として、チャガタイ・ハーンに従って移住した遊牧集団やモンゴル帝国以来の遊牧集団、新たに作られた諸集団があった。ティムールはカザガンの孫でカラウナス部を率いていたアミール・フサインと結んだが、1365年モグール軍に大敗して、アム川の南に逃げた。
世界各国史4 中央ユーラシア史
モグール軍はサマルカンドに迫ったが、都市防衛のための商工業者の自治組織(サルバダール)によって撃退された。一方、覇権をめざすフサインとティムールは、自治を認めると偽ってサルバダールの指導者たちを集め、殺害した。
サマルカンドを中心とした支配権を確立した二人は、対立し始めた。始めは有力部族の支持を得たフサインが優勢だったが、フサインが本拠地バルフを要塞化しようとしたことに遊牧諸集団が反発し、ティムールを支持するようになった。ティムールはバルフに進軍する途中、メッカ、メディナの寄進財産(ワクフ)のために浄財を求めていたサイイド・バラカと出会い、多くを寄進して免税特権を与え、バラカより高位の者だけが持つ太鼓と旗を得た。アム川を渡ったティムールは、オゴデイ裔のソユルガトミシュをハーンに擁立して、バルフを包囲した。フサインはメッカへの巡礼を条件に降伏、後にフサインと子供たちは殺害された。
ティムールは、フサインの妻のうちカザン・ハーンの娘サライ・ムルク・ハヌムを娶って、チンギス家の婿(キュレゲン)の地位を得、アミールや地方領主、宗教的権威サイイド、チンギス裔の王子たちの支持を得て王位に就いた。
ティムールは、傀儡のソユルガトミシュをハーンにたて、チンギス家の婿(キュレゲン)となることでチンギス・ハンの権威を利用し、イスラーム社会の宗教的権威サイイド・バラカの支持を得て1370年に政権を獲得した。
1360年代 アジア史年表
サマルカンドを中心とした支配権を確立した二人は、対立し始めた。始めは有力部族の支持を得たフサインが優勢だったが、フサインが本拠地バルフを要塞化しようとしたことに遊牧諸集団が反発し、ティムールを支持するようになった。ティムールはバルフに進軍する途中、メッカ、メディナの寄進財産(ワクフ)のために浄財を求めていたサイイド・バラカと出会い、多くを寄進して免税特権を与え、バラカより高位の者だけが持つ太鼓と旗を得た。アム川を渡ったティムールは、オゴデイ裔のソユルガトミシュをハーンに擁立して、バルフを包囲した。フサインはメッカへの巡礼を条件に降伏、後にフサインと子供たちは殺害された。
ティムールは、フサインの妻のうちカザン・ハーンの娘サライ・ムルク・ハヌムを娶って、チンギス家の婿(キュレゲン)の地位を得、アミールや地方領主、宗教的権威サイイド、チンギス裔の王子たちの支持を得て王位に就いた。
ティムールは、傀儡のソユルガトミシュをハーンにたて、チンギス家の婿(キュレゲン)となることでチンギス・ハンの権威を利用し、イスラーム社会の宗教的権威サイイド・バラカの支持を得て1370年に政権を獲得した。
1360年代 アジア史年表